学長室だより - 敬和学園大学
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ブログ版 学長室だより

鈴木佳秀学長が、敬和学園生活で感じたことをショート・エッセイ「学長室だより」として執筆しています(毎週金曜日に更新)。
「学長室だより」はこのブログのほか、C.A.H.週報、JR新発田駅およびイオン新発田SC内にフリーペーパーとして設置しております。お立ち寄りの際には、ぜひお手にとってお読みください。

鈴木佳秀学長からのメッセージ

  ダビデの物語・ダビデ王位継承史その5
2012年05月11日(Fri)08:29
ナタンの神託には多様な要素が含まれています。神殿を建てたいと願ったダビデに「なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」(サムエル記下7章7節)と告知した後で、「万軍の主はこう言われる。『わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える』」と、メッセンジャーとして、神の一人称でダビデに告げています(8節〜11節a)。
その後半には別の要素が含まれています。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国は揺るぎないものとする」と、神について三人称で言及しつつ、口調を変えて解釈を語っているからです(11節b〜12節)。預言者が語る預言を理解する手がかりがここにあります。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデ王位継承史その4
2012年05月04日(Fri)16:21
ダビデが王に即位し、エルサレムを占領して首都に定め、神の箱を運び上げた後、神殿を建てたいという願いを持つことは、部族連合から国家形成への道を辿っていることを意味します。遊牧民の伝統が都市国家の伝統にどのように適合されるのか、その点に、叙事詩の記者や後代の歴史家は注意を払っていると言えます。明らかに、ダビデはカナンの地の他の都市国家と同じ国家路線を取り始めているのです。ダビデの願いに、主なる神はナタンを通して託宣を与えています。「わたしの僕(しもべ)ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようと言うのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」(サムエル記下7章5節〜7節)。イスラエルをエジプトから導き上った神ヤハウェは、定住民の神ではなかったのです。神殿に住まう神を神として礼拝するのは、古代メソポタミアでもカナンの地でも、定住民の神理解に根ざしたものでした。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデ王位継承史その3
2012年04月27日(Fri)08:29
「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。『見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。』ナタンは王に言った。『心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。』」(サムエル記下7章1節〜3節)。
ナタンは宮廷預言者としてダビデに仕えた人ですが、ダビデが神の箱に心を砕いていることを知り、心にあることは何でもしなさい、主なる神が共におられますと語っています。それは、かつてサムエルがサウルに告げたのと同じ言葉です(上10章7節)。カリスマ的指導者には神が共におられるという理解から、心にあることは何でも実行しなさいとナタンも語ったのです。
サウルはそれを誤って受けとめた結果、破滅の生涯を辿りました。ダビデの場合はどうでしょう。神によって王位に据えられたことを、ダビデは自覚していました(下7章18節)。ナタンに語っている言葉から、エルサレムに運び上げた神の箱について、まだしなければならないことがあるのではないかと心を砕いていたことが分かります。カナン人やペリシテ人と同じく、箱を安置する神殿を建てたいと願ったのです。それは、遊牧民でなく定住民の神礼拝のあり方でした。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデ王位継承史その2
2012年04月20日(Fri)08:26
ダビデ王位継承史はダビデの後継者になるのは誰かを物語るものですが、サムエル記は、サムエル、サウル、ダビデの生涯を辿りながら、カリスマによる支配から世襲カリスマへと移行するプロセスを描こうとしています。カリスマ的指導者は、神ヤハウェからの召命に応える生涯を送った人でしたが、世襲制に移行することで権力基盤そのものが世俗化され、血統が意味を帯びる世界へと変わっていきます。そこに権力をめぐる闘争のドラマが生まれます。それぞれの皇太子に側近の部下がおり、個別の母親がいます。権力闘争は派閥の戦いにならざるを得なくなるのです。
ダビデ王には複数の妻がいました。隣国との平和条約を結ぶ際に、政略結婚の形をとったからです。「ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。長男はアムノン、母はイズレエル人アヒノアム。次男はキレアブ、母はカルメル人ナバルの妻アビガイル。三男はアブサロム、ゲシュルの王タルマイの娘マアカの子。四男はアドニヤ、ハギトの子。五男はシェファトヤ、アビタルの子。六男はイトレアム、母はダビデの妻エグラ。以上がヘブロンで生まれたダビデの息子である」(サムエル記下3章2節〜5節)とあり、ドラマの主役たちが登場しています。アブサロムの母は隣国の王家の出でしたが、まだソロモンは生まれていません。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデ王位継承史その1
2012年04月13日(Fri)08:56
ダビデが神の箱をエルサレムに運び上げた時点で、イスラエル十二部族を束ねる王国の基礎は固まったと見ていいでしょう。ここからダビデの王権がどのような形でどの息子に継承されていくのかを、サムエル記は描こうとしています。「ダビデ王位継承史」と呼ばれるこの歴史叙述の起点となるのが、妻ミカルです。「ダビデが家の者に祝福を与えようと戻ってくると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。『今日のイスラエルの王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。』ダビデはミカルに言った。『そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。』サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。」(下6章20節〜23節)
サウルの娘ミカルに子供が生まれなかったというこの一文を起点に、ダビデ王位継承史が始まります。叙事詩の記者もそれを編纂した後代の歴史家も、ミカルに子供が生まれていたならば、歴史は異なった展開を見たはずだと感じていたのです。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデの台頭史その58
2012年04月06日(Fri)08:32
エルサレムを拠点にダビデ王は宿敵ペリシテ軍を二度にわたって打ち破り、抵抗ができないほどにしてしまったのです(サムエル記下5章17節〜25節)。続いてダビデは、イスラエル十二部族連合の象徴であった神の箱をエルサレムに運び入れています。かつてシロにあったこの聖櫃(せいひつ)は、ペリシテとの戦いで敵に奪われてしまったものでした(上4章〜6章)。この時にイスラエルの危機を救ったのがサムエルでした。ダビデはまだ登場していません(上7章)。キルヤト・エアリムのアビナダムの家に保管されていた伝統の象徴であるこの神の箱を、ダビデは全軍をあげて運び上げようとしたのです。その途中で荷台を引っ張っている牛がよろめいた時、ウザが神の箱を手で支えようとして神に打たれる事故があり、禍いを恐れて三ヶ月の待機を余儀なくされてしまいました。しかし彼は最終的に箱を運び上げるのに成功したのです(下6章1節〜15節)。
「主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ」とあるように(16節)、ダビデは箱の前で踊りながら喜びを表したのです。ミカルにしてみれば、父サウルがなすべきであった事業をダビデが達成したことに、複雑な思いがあったのだと思います。(鈴木 佳秀)

  ダビデの物語・ダビデの台頭史その57
2012年03月30日(Fri)08:29
「ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」(サムエル記下5章9節〜10節)。エブス人の町エルサレムはイスラエル諸部族が管理する町ではありませんでした。その町を征服し自分の町にしたのです。「ダビデの町」という呼称は意味深長です。イスラエル諸部族の長老たちと契約を媒介に王に即位したのですが、召集軍を組織することはできても、王国を経営する手段はまだなかったと言わなければなりません。ダビデの狙いは明確でした。自分の部下たちでエルサレムを占領し手に入れたからです。後にイスラエル召集軍の他に、ダビデは側近からなる常備軍を組織します(後述)。
エルサレムが「ダビデの町」と宣言されたことは、諸部族の介入を許さないという宣言でもあります。イスラエルの王となったダビデ個人が支配するエルサレムが王国の首都となったため、私的な所有というイメージが国家理解に流れ込む原因となったのは言うまでもありません。神と民との間に立つ仲保者として機能するのか、独裁的に臣民を支配するエジプト的な統治に向かうのか。叙事詩の記者も後代の歴史家も、この歴史的な推移に目をこらしていたのです。公私のバランスをダビデはどのように維持したのでしょうか。(鈴木 佳秀)

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