の三本柱を敬和学園大学エッセイ・コンテストの評価基準として定めた。これらは、国際哲学オリンピアード(IPO)で採用している五つの評価基準を短縮したものである。IPOでは、1.Coherence; 2. Persuasive power of argumentation; 3. Philosophical knowledge; 4. Originality; 5. Relevance to the topic.の五つの基準を設けている(”Regulations of the IPO”参照)。本学のエッセイ・コンテスト評価選考基準の場合、1には、IPOの「1」「5」、2には、IPOの「3」、3には、IPOの「2」「4」を考慮している。 第三に、本年前期CAHに講師として登壇いただいた内外の識者に、心からの謝辞を申し上げたい:新井明学長、北嶋藤郷教授(英語英米文学科長)、四竃揚牧師(千代田教会)、竹前篤牧師(新発田教会)、石川喜一教授(人文社会科学研究所長)、東条由布子氏(NPO法人環境保全機構理事長)、上島一高牧師(新潟教会)、野本真也教授(同志社理事長)、榊原茂牧師(カリフォルニア神学大学講師)、望月迪洋編集局編集室長(新潟日報社)、金子昭助教授(天理大学)、間瀬啓允教授(東北公益文化大学公益学部長)、杉本祐一カメラマン(「イラクで人間の盾となって」)。また、宗教部長とともにチャペルの講壇の責任を担って頂いたキリスト教と教育委員会の同僚諸氏に感謝申し上げたい:山田耕太教授、矢嶋直規助教授、金山愛子助教授、宇田川潔事務局長。今回も、毎週のCAH他のキリスト教教育活動に無類のご奉仕を頂いた田邊昌邦学生係長に心からお礼申し上げたい。また、奏楽の担当者佐々木美佳さん、時にご助力をお願いした新発田教会のオルガニスト石川美佐子姉、四月から聖書研究会の指導を頂いている新発田教会竹前篤牧師に、心からの謝意を申し上げたい。 7月12日(土)には、新潟地区世界宣教委員会主催、本学及び敬和高校共催で第9回「留学生の集い」を盛大に本学にて開催した。42名の参加者、其の内13名が留学生であった。新井明学長から「留学体験と私」の講話を頂いた後、ペルベルシ・ジョバンニ、石徳勇、劉洋他の諸君の留学生によるスピーチに喝采し、認証状の学長による授与式を厳粛に行ない、和気藹々のポットラック昼食会の後、最後はドアプライズに湧いた。藤田基道委員長、三村修委員、川村邦彦委員、高橋稔委員、臼田宣弘委員、権泰雄協力委員、ジーン・ホール委員と本学キリスト教と教育委員各位、本学国際交流委員長ジェームズ・B・ブラウン助教授、渡邊幸二郎オレンジ会会長、有田佳代子講師、見事な手料理をお持ちいただいた諸教会の諸兄姉、及び影のボランティア奉仕に尽くされた高橋美香姉(レストラン「鳥の歌」)と愚妻延原信子師に、深甚の謝意を表したい。また、7月5日(土)には、前期の敬和学園高校大学合同研修会「学び合って築く敬和の新時代」を大学で開催した。講演者新井明学長、説教者藤田英忠教諭に深謝するものである。分団で新時代に向けて提案を交換し合ったことは、意義深い。鷹澤教頭、小田中肇教諭、宇田川潔事務局長、延原が準備委員として運営に当った。 第四に、7月9日(水)の本学ボランティア・デイにご来学頂いた希望の家施設長五反田和彦先生、職員ご一同様、利用者ご一同様に、いただいたご友情への御礼を衷心より申し上げたい。私どもの「ボランティア活動」に関する微意をあきらかにするため、以下六つの文書を付録として添付させて頂きたい。これをもって、7月10付御礼状に対する私どもの謝意及び「障害者福祉についての啓発的活動」に関する大学(担当:延原ゼミ)としての説明責任(注・どのような心準備をして7月9日のボランティア・デイに希望の家の皆様を本学にお迎えするにいたったか、を段階的に、社会に対して公的に、明らかにする責任)を果たしたく祈念するものである。なお、希望の家よりの御礼状の公開に関して、快くこれに同意された施設長五反田和彦先生と利用者代表塩原大様のご厚意に心からお礼申し上げたい。ボランティア・デイ全体の企画については、山崎ハコネボランティア・コーディネーター、矢嶋直規ボランティア委員長、井口亮学生係のご労苦に深謝するものである。思うに、ボランティア活動は、大学の授業ないし事業としてだけ実施されうるものではない。必ず既に自立した運動である施設側の「啓発的活動」への参画という意味を持たなくてはならない。そこに一番重要な事柄は「交流」のうねりとその精神だと知るのである。「交流」こそ生きる悦びである。そのことを、以下の六つの資料にご高覧いただければ幸いである。資料は、CAH短説教、希望の家からの御礼状、本学からの謝辞、「交流」に参加した学生のレポート(1)(2)(3)で構成されている。 |
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敬和学園大学チャペル・3分間説教 今日の説教は、本当に短くやります。それで、ひとつのことだけ考えて下さい。あなたがアルツハイマー病のような病気にかかったとすれば、どうしますか。あなたの肉親がアルツハイマー病にかかったとすれば、どうしますか。 ここに、1999年10月15日の三分間説教のテキストを用意いたしました。内藤聡さんの『或る日突然、妻が痴呆症になった』(大和書房)を読んでみて、それを新約聖書ガラテヤの信徒への手紙4:8−11と関係付けたものです。ここで私は三点に注意いたしました。第一に、痴呆症になっても、内藤さんの奥さんは、人間性を失いませんでした。それを、「保ってやることが、私の在宅介護の一番大切なテーマでした」という態度を、内藤さんは貫きました。さて、人間性を保ってあげる、とは、どういうことでしょうか。あなたにとって? 考えてみて下さい。 第二に、内藤さんは、そこで、キリスト教に入信します。妻の人間性を保とうとした時、「神のように彼女を愛する」事が必要になったからだと言うのです。どういうことでしょうか。介護は、神から遣わされた仕事である、という事のようですね。 第三に、このことにあわせて、信仰も、逆転しなくてはならない、というのが、私の意見でした(「人生の逆転と信仰」参照)。直線的に神を恐れ信じる、いわば頑張り精神の信仰。これが、人生の悲劇に遭遇する時、変わらねばなりません。何に? 使徒パウロが「今では、神を知っているのに、否、神に知られているのに」と言った時の「神に知られていること」「神に私たちの存在の一切が受け容れられていること」を知って、それに全く身を任せて生きること、へと変わるのです。これを信仰の逆転と言います。 内藤さんの信仰は、奥さんのアルツハイマー病介護の中で、逆転しました。お二人の苦労の一切が神の知り給うところである、と信じたのです。 |
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「神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆戻りして、またもや新たにその奴隷になろうとするのか。」 序 はじめに一つの問いを出させていただきたい。 一内藤聡著『ある日突然、妻が痴呆症になった』(大和書房)は、呪いと絶望ではない解答をこの問いに対して出しているので、実に教えられる。この書物はこんな「まえがき」で始まっている: 「妻・内藤弘子は、五十二歳でアルツハイマー病にかかりました。 それから十五年経った現在は、脳の機能は著しく阻害され、立つことはもちろん、座位もまったくできなくなり、すでに完全なねたきりとなっております。 発病して六〜七年目(平成二〜三年頃)に左脳がいち早く萎縮したため、話すことができなくなり、家族や周囲の人たちととの意思疎通が難しくなりました。一年くらい前から食事を飲み込む力が弱くなり、鼻から管を通した経管栄養に頼るようになりました。 この間、本当に多くの皆様のご協力をいただいて、夫である私が在宅介護を続けてきました。 長い道のりでしたが、不思議なことに妻は未だ笑顔を失わず、それにまだ味覚も残っています。起伏はありますが、私ども二人の日常生活は意外と明るい面が多かったなと顧みております。 一般的にはアルツハイマー病は、発病から五〜六年で諸機能が低下し、十年が生存期間といわれています。妻はすでに発病から十五年を経過していますが、声を出して会話することはできないものの、私は妻の意思を確かに感じとることができます。 その豊かな感性――肉親に対する愛情、周囲の人の親切に感動する心を妻は失っていません。こうした妻の人間性を保ってやることこそ、私の在宅介護のいちばん大切なテーマでした。」(1―2頁) ――「こうした妻の人間性を保ってやることこそ私の在宅介護のいちばん大切なテーマでした」と、何故、内藤さんは言うことができたのであろうか。 そこに、私は、この人の、人生の逆転をきっかけにした内面の逆転――つまり、信仰の 二皆さん、人生に逆転は付きものである。しかし、その時あなたの内面の逆転が起こらなくてはならない。そうでないと、人生の逆転に絶対に立ち向かうことができない。 平成六年(1994)十月、内藤さんの妻弘子さんは洗礼を受ける。昭和五十九年(1984)に52歳でアルツハイマー病が発病して倒れてから十年目のことである。 「息子と娘のそれぞれの家族と、弟夫妻、妹たちに囲まれて、素晴らしい主の祝福の言葉をいただき、妻は満面に穏やかな笑みを浮べて、それに応えました。」(151頁)と書かれている。そしてその次に、内藤さん自身の内面の変化が記されている。私はそれに注目したい。 「私は妻がこの病気になってから、信仰告白をしました。どうしようもない苦しみをどうかしたいとか、何かにすがりたいというような気持ちよりも、自分がしていることに対する裏づけが欲しかったということだと思います。 『汝の隣人を汝自身のごとく愛せよ。』 三でも主は、そんな私でさえ許して下さいます。 皆さん、此処に人生の逆転に耐えることのできる内藤さんの内面の逆転があったのである。私たちが逆境にあってもめげずに必死に神を信じる、というのではない。それは、直線的な信仰である。この信仰には自分の弱さ、醜さを見ることが含まれていない。いわば、頑張り精神の信仰であろう。 それを、人生の逆転が一度打ち壊してしまう。何故かと言うと、人生の逆転・妻のアルツハイマー病は、そのような一直線の物の見方(まだどこか「世間体」や「虚飾」に囚われた信仰)を全部壊してしまうからである。 新しい信仰は、そこで、今日のテキストで以下のように、使徒パウロの言う「逆転の信仰」なのである。「しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱なもろもろの霊力(「世間体」や「虚飾」)に逆戻りして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。」と。 信仰とは、単に神を知ること、直線的に信じること=畏れること、ではない。神に知られていることを知ること、どのような悲惨な状態にあなたがあっても、全くそのまま受け容れられていることを受け容れること、その事に全く身をゆだねて逆境の中を生きること、である。 |
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平成15年7月10日 敬 和 学 園 大 学
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拝復 平成15年7月10日付ご丁寧なご芳書誠に恐縮に存じました。沖縄と名古屋での学会に出張いたしておりましてご返事の遅れました事平にご寛恕ください。
塩原大さんも、頂きましたご礼状に代表して書いておられますように、初めのインタビューによる自己紹介も、輪投げも、神経衰弱も、大玉送りも,ドッジボールも、昼食会も、ともに生きている事を喜び合った友情のひと時でございました。こうした時を学生達にプレゼントして下さいましたことを、ゼミ担当教員と致しまして、心より厚くお礼申し上げます。 施設長五反田和彦先生もお書きになっておられますように、社会資源のひとつである貴施設のご使命「障害者福祉についての啓発的活動」の推進にたいしまして、こうしてお仲間に入れて頂きました事を、本当に有難いこと、貴重なこと、「自己研鑽の場」として、深謝致しております。誠に、人間のいのちは、ともに喜び合い、祝福しあうために、天より与えられたものでございましょう。ならば、良寛様も歌われましたように、ともどもに「騰々 天真に任す」毎日でありたいものと祈念致します。 皆様方のご幸福と貴施設希望の家の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。 |
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付録4:基礎演習延原ゼミ・レポート(1)-『とりなしの祈り』を通して感じた事-03K007 古川 智美- | |
付録5:基礎演習延原ゼミ・レポート(2) 一中国人学生として-03K032 劉 洋- | |
付録6:基礎演習延原ゼミ・レポート(3)- 十人十色の意見と交流 - 03k066 高橋 惇 - | |
第五に、週報合本前号(2002年度後期)に記載した第十一回国際哲学オリンピアードについて、事後報告をさせて頂きたい。日本からは創価高校の中村修平君が秀逸なエッセイ「地球憲章に対する私の応答」により選出され、XI.IPO副会長延原とともに、5月7日―10日アルゼンチン国ブエノスアイレス市、文部科学省本館で開催された世界大会に参加した。18ヶ国から39名の高校生が参加した結果、一位:トルステン・ショーエンベルク(ドイツ)、二位:セルジオ・バルベリス(アルゼンチン)、三位:ガブリエル・アベロフ(アルゼンチン)が入賞。会長はマルセロ・ロボスコ教授が務め、アルゼンチン国文部科学省挙げてのお祭りとなった。全体の講評を副会長として述べた。中村君は入賞は逸したが、「世界の異文化の壁がさまざまな問題を起こしている中、共に学び、論じという生活体験をして、若い時に海外の友人を作っておくことの大切さを痛感しました。」と『毎日新聞』7月10日付「ひ・と・も・よ・う」(荒井魏記者)で述べている。なお、8月10日―17日トルコ国イスタンブールで開催の世界哲学会(World Congress of Philosophy)高校生部会(IPO関連)に西嶋健太君(同志社高校)が、北垣宗治日本IPO組織委員長引率の下参加している。いずれも、本学がその推進にここ数年尽力してきたPDE Inter-University運動(地球に平和と対話を求める「大学間大学」運動)の一環である。
因みに、第十回国際哲学オリンピアード(2002年5月12日―15日、於国連大学[東京])について、ポーランドからの参加者:Magdalena Kalembaさんの報告が最近、次のHPに掲載されているので、紹介しておきたい。
http://www.v-lo.krakow.pl/~pupilpower/main.php?content=2&artid=12
第六。本学には、開学13年目なのだが、チャペル(礼拝堂)も宗教センターもない。しかし、長い眼で見れば、キリスト教主義大学なのだから、礼拝堂は是非必要であろう。多目的ホールと宿泊設備、研究室、宗教センターを兼備すべきである。キャンパスは今の二倍は必要で、良寛研究や大倉喜八郎研究や塩津潟研究のための地域学センターもなくては、越後ならではのinculturation(文化的受肉)を志したキリスト教主義大学に飛躍できまい。そんな夢を語っていたら、朋在り遠方より来たり礼拝堂夢の設計図を手渡された。主題は『夢』。いやはや、無一物中無尽蔵のこころだけ飛翔す。
第七。冗談はともかく、現実に話を戻すと、後期には、リトリート改めて「教養リフレッシュセミナー」を10月10日(金)―11日(土)ロイヤル胎内パークホテルで開催すべく鋭意準備中である。講師:倉橋康夫牧師(富士見町教会)「宗教と人間」。エッセイ・コンテスト入賞者学生のスピーチ。「新井学長大いに語る」の企画。学長主唱の植樹式をしてバスで大学玄関前から10月10日午後3時出発の予定である。なお、後期には、12月12日(金)工藤篤子「独唱と証し」の大音楽礼拝の予定。来春には、ジビッレ・フリッチュ=オッペルマン博士による講演会「地球憲章の時代――貧富を超える文化形成の課題」「ドイツにおける脱原発政策について」を予定。なお、博士の今年の講演会(6月28日)が、急病で中止になったことをお詫びいたします。
第八。今期一番嬉しかったことは、イブニング・コースで「組織神学」を担当し、同志社大学院時代から四十年書き続けてきて昨秋9月に脱稿したライフワーク『受肉の神学――救済論と形成論』(全巻二十章の内はじめの三章)を開陳することが出来たことである。敬和高校鷹澤昭一教頭、市田邦二宗教主任を含む12名の聴講者の皆さん(内社会人7名、他大学からの聴講生1名、sit-inの基礎ゼミ生1名、学生3名)とともに、「敬和の神学部」を満喫した。今、力作のタームペーパ―を読んでいる。と、お一人の求道者が「この授業で入信した」と書いておられる。主よ、これは何の業ぞ。
右、お礼方々
延原時行
宗教部長
2003年8月14日これを記す
第二章:「チャペル・ニュース:プニューマ」第四号:「21世紀の新風を求めてC」
はじめに、少しく私事に触れることをお許しいただきたい。ごく最近、スイスから悲報が届いた。私の同志社大学院以来の恩師であり親友であるフリッツ・ドマムート先生が不治の膵臓癌で召されたと、次女のミドリさんからの手紙である。日本で1960年代、スイス東亜ミッションの宣教師として京都出会いの家のハウスファーターを京大教授の稲垣博先生と務めておられる時、神学部の旧約特講に(私は組織神学専攻なのに)伺ったことから、お宅に入り浸ることになった。以来、欧米の新着の書物、雑誌のこれはというものを惜しみなく施与頂くばかりか、1964年開拓伝道を始めてからは人知れずお助け頂いた。鈴木大拙の英文著を紹介いただいたのも、先生からである。私の英語での討論力の基礎は全く、当時からの先生との徹底的対話に負うものである。感謝と哀悼は尽きない。
スイスに帰られてビール市教会の牧師の頃、ウェールズでのWCC(世界教会協議会)の会議(1972年)へ日本代表として出席する傍らお宅にお邪魔し、洋子夫人、エリック君、マヤさん、ミドリさん共々の歓待を受けた。1982年夏ベルギーのルーヴァン大学での客員教授の任務を終えて直後、ジュネーヴの近郊ボセイにあるエキュメニカル・インスティテユートの講師をドイツのベートゲ教授(ボンヘッファ―の親友)と務めた折もお訪ねし、歓待された。お礼に1987年、クレアモント神学院プロセス研究所長ジョン・カブ先生の命を受け東西プロセス研究プロジェクト主任の企画として、同志社の恩師竹中正夫先生、先輩平田哲牧師のお許しを得て、欧米と日本のプロセス学者40数名を招待の上、関西セミナ―ハウスで開催した国際学会「平和と人権:プロセス思想の視座より」にスイス代表として、お招きすることが出来たのであった。旧約の預言者研究に立脚した、鋭い平和へのご提言を頂いたのであった。最近では、ジョルダーノ・ブルーノの宇宙論、スピノザ論をお送りいただいていた。今、ドマムート先生へのメモリアル・ファンドを考えている。
私は、ドマムート先生から、「考えて書く」その初原の興味の瞬発力をお教えいただいたように思う。これにさらに磨きをかけることが出来たのは、日本の恩師滝沢克己、アメリカの恩師ジョン・カブ、の両先生の学恩による。一体何故なのか、と疑問に思う興味の心の涵養というか。それこそ、1991年の開学以来、私が、哲学、比較宗教思想、現代哲学、基礎ゼミ、2年生ゼミ、3年生ゼミ、卒論指導、夜間講座「組織神学」、現職牧師のための現代宣教学ゼミナール、という9コマの授業(2003年前期の場合)と敬和赴任後の著訳書15冊の中で、敬和の学生諸君に伝達しようとしてきたものである。チャプレン(宗教部長)としては、これを何とかCAHに繋げられないかと、開学以来苦慮してきた。
今年度より、新井明新学長のご就任とともにその強力なリーダーシップの下、チャペル・アッセンブリ・アワー(CAH)を単位化し、70%以上の出席率を満たし、エッセイ・コンテストに応募する者に限り、前期1単位、後期1単位の取得を許したところ、毎金曜日のCAHの時間、礼拝講堂S31は満堂一杯の盛況となった。かつ94篇の応募作を得た。
本号掲載の受賞作10篇を熟読いただきたい。敬和大学の「考えて書く」教育の結実がここに見られる。これは、敬和高校の「自分探し」の教育に続く、もう一歩成長段階の教育である。A・N・ホワイトヘッドによれば、教育は、「ロマンス」「精密化」「普遍化」の三段階を経て進展する想像力に満ちた知性的冒険へのいざないである。本学の「考えて書く」新教育は、ミッション・ステートメントにもあるように、「自由かつ敬虔な学風」を育てるCAHを出発点とする。その上で、「グローバルな視点で考え、対話とコミュニケーションとボアランティア精神を重んじ、隣人に仕える国際的教養人を育成する」リベラル・アーツ教育の核心を占めるのである。
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