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PDE Inter-Universityニューズレター:第十一号
  目次
 "Inter-University学術活動の新風:時代と学術と友情”
 I.代表:ご挨拶
 II.著者:ご挨拶
 III. 延原時行著『対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから』出版助成の会 趣意書(予約の部)
 IV.予約金申込書
 V. 延原時行著『対話論神学の地平―― 私の巡礼のなかから』に関する小野寺功先生の御書評のお便り(2005年2月25日付)
 VI.友情の連鎖十箇条:Ek Pisteos Eis Pistin――地平の会の組織論および出版助成の方法について
 VII. 推薦書
 VIII. 出版概要書(改訂)
 IX.対話論神学の地平――私の巡礼のなかからThe Horizon of a Dialogical Theology: From My Pilgrimage)
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PDE Inter-Universityニューズレター:第十一号(2005年9月15日)

"Inter-University学術活動の新風:時代と学術と友情”

1.時代

地球上の人類はごく最近、全く新しい時代に突入した様であります。その時代の分水嶺は9・11であります。その原因や真相は世界の識者が只今鋭意激論致しておりますので、我々もそれに傾聴して参りたく存じます。しかし、いずれにいたしましても、時代は重要な二者択一を我々人類につきつけております。それは、「あなたはあなたの隣人の未来を潰すことによってあなた自身の未来を獲得しようとしているのか、それともあなたの隣人の未来を生かすことによってそれを望んでいるのか」という二者択一であります。前者が、9・11と共に我々の時代の基調になったかのようであります。この観点からするならば、我々の時代は「お互いの未来潰しの時代」と呼んでも宜しいでしょう。その結果は、誰にも未来はない、という荒涼たる世界です。

2.学術

これに反して、もしも我々が、お互いの未来を生かす選択をした場合は如何でしょうか。我々は未来より「人類への大いなる癒し」が到来するのを経験することでありましょう。これを私は「未来セラピー」と呼びたいと思います。この「PDE Inter-Universityニューズレター」を始めました時、我々の願いは「Peace and Dialogue on Earth」(地には平和と対話あれ:ルカ福音書2章14節)という天使達のクリスマス・メッセージに沿うものでありました。

この願いを、しかし、我々はInternet時代に相応しく、「大学と大学の《あいだ》の広大な社会空間の中に活動する学術世界」(つまり、Inter-University)としてInternetを媒介にして実現することを求めるわけであります。これが、時代の危機を前にしての我々の全く新しい学術手段であります。すなわち、我々の志向するのは、学術におけるInternet民主主義でありまして、これは《Inter-Universityという形》において具現いたします。この形を、既存の学術形態(大学を含む)が尊重し、そのために貢献奉仕する精神を発揮する時、学術は21世紀に相応しい、地域的=地球的二重性をはじめて有意義に確立することでしょう。(注:講義なども、教室でのそれとInter-University上のon-line講義録と、二重化し、かつDVDなどの音声映像でrepeatableとなります。)

さて、右に述べましたInternet民主主義は、丁度16世紀のマルティン・ルターの宗教改革が、ヴィッテンベルクの城教会の扉に「贖宥に関する95箇条の提題」を張り出すことで始まりましたように、又ルター訳の旧新約聖書をヨハン・グーテンベルクが活版印刷術を開発して印刷頒布するに及んでさらに展開いたしましたように、いや、それを遥かに凌駕するスピードと波及効果をもって、驚天動地の伸張を示すことが予見されなければなりません。まだ実現せぬ、しかし実現しうる未来を予見する力が、真の学術の力であります。

3.友情

ここに現出する人と人との繋がりは、あくまでも直接的にして広範、個別的にして人類的でありまして、これを我々は敢えてe-friendshipと名付けます。

直接的と申しますのは、如何なる情実、圧力、馴れ合いにも妨げられないからであります。広範なのは、そして人類的なのは、Internetの地球的特質でありまして、この新時代の文明の利器こそ、一切の強権、独裁、圧政、軍事的支配に対するcounter-balanceであることを知る人ぞ知るのであります。我々は、今始まっている「9・11」以来の地球争奪戦を、こうして相対化せねばなりません。その合言葉は、「Internet+友情=e-friendship」であります。

この合言葉を交し合う時、Internetは初めて「自由の機関」であることを十全に発揮するのであります。今日どのような組織、団体、共同体におきましても、Internetによる情報公開が「自由の基準」となっておりますが、竿頭さらに一歩(注:「+友情」)を進めるべきであります。これを逆に見ますと、イエス以来の友情の徳が、e-friendshipと言う新しい布袋に入れられる時、21世紀において国際的、学際的、宗際的パワーとなるわけでありまして、イエスの仰る「新しい酒は新しい布袋に入れよ」との命法が実行されることとなります。「文明に不可欠な冒険心」(ホワイトヘッド)の発揮であります。

4.その一例:「出版助成の会」の呼びかけ

以下に掲げます「出版助成の会」の呼びかけは、右の三点にわたる「PDE Inter-Universityニューズレター」の趣旨に相応しい学術計画であることを願っております。学術出版に新しい時代が訪れました。それはInter−Universityによる「友情の連鎖」を根本精神かつ根本方法にするからであります。

呼びかけは、(1)代表:ご挨拶、(2)著者:ご挨拶と感謝(3)趣意書、(4)予約金申込書、(5)小野寺功先生の御書評のお便り、(6)友情の連鎖:十箇条、(7)推薦書、(8)出版概要書、(9)「対話論神学の地平――私の巡礼のなかから」目次、からなります。地球上の既知また未知の友人たちのご理解を心より深謝申し上げます。

今から始まるE-friendshipの世界の力動は、未知です。魅惑と期待に満ちて未知です。しかし、飛び込む時、動き出します。古池や 蛙飛び込む 水の音。
一人の友あらば、宇宙は波紋を描き大反響!

(文責:延原)


I.代表:ご挨拶

謹啓
 
盛夏の候、皆様にはますます御健勝・ご活躍のこととお慶び申し上げます。

このたび、突然の「ご挨拶」の送付、失礼いたします。私は、敬和学園大学の延原時行先生とは、同志社大学神学部の後輩で、ご縁あって現在まで40年あまり、私にとりまして稀有の「心友」であり、大切な「導師」のひとりでもあります。

延原時行先生につきまして改めてご紹介の必要もございませんが、1991年春、敬和学園大学の創立を機に、15年に及ぶ欧米での学究教授生活の拠点を越後・新発田の地に移され、大学でのお働きをベースに「世界を私の家にして」(賀川豊彦1938年著書名)、堅実着実なお仕事を積み重ねてはや14年が経過いたしました。

先生は、学問分野はもちろんその生活の形においても、常にバランスの取れた強靭な思索と行動力を発揮され、学生たちはもちろん新しく出会われる幅広い人々に、いつも大きな人格的息吹を伝え続けておられます。

とりわけ「仏教とキリスト教の対話」に関わる開拓的な研鑽を本格化させる中で、「延原宗教哲学」とでも名づくべき独創的な学問的貢献を果たしておられることは、周知のことでございます。くわえて21世紀を迎えた現在、最新の高著『地球時代の政治神学』(創言社)において、滝沢克己国家学とハタミ提唱の「文明の対話」学の可能性を解き明かして注目されたあと、先般発表された傑作「9・11とアメリカ・キリスト教平和思想」(『軍縮地球市民』創刊号、2005年6月)などの意欲作品は、益々その思索の充溢振りを感じさせられます。

ところで、延原先生の労作は既に『仏教的キリスト教の真理』(行路社)『至誠心の神学』(同)はじめ『地球時代の良寛』(考古堂)『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>』(法蔵館)など多数に及ぶなか、先生にとって生涯の使命として探求し続けてこられたライフワーク「新しいキリスト教弁証論」が、本年(2005年)の年頭に至って、ひとつの纏まりの時を迎え、完成原稿『対話論神学の地平―私の巡礼のなかから』が生み出されました。

別添の新著「目次」を御覧の通り、1960年代初頭青年期の開拓期から円熟期でもある現在までの、ひとりの探求者・表現者の「巡礼」のあとが彫琢され、格別の品格を備えた仕上がりとなっています。とりわけ本書の「はしがき」、「プロローグ」と「エピローグ」、そして<巡礼T:実存の深遠から><巡礼U:イエスとの出会い―関係性のあけぼの」><巡礼V:対話論神学の地平><巡礼W:地平を超えて>それぞれ冒頭の「ことば」などは、本論全体をいっそう浮き彫りにする内容豊かな珠玉の表現となっています。

この完成原稿を、延原先生の学生時代からの友人であられるエーザイ前会長・現取締役相談役・中井博雅氏が一読され、今回の新構想「延原時行出版助成の会」が発案されました。

そしてこの新構想実現に向けて大きな力となり、確かな支えとなられたのは、延原先生が日ごろ尊敬され、深い学問的交流のある清泉女子大学名誉教授・小野寺功先生でした。完成原稿を一読されたあと、延原先生のもとに届けられた「小野寺書簡」は、著者である延原先生にとって、誠に大きな激励となりバネとなって、私たちの「助成の会」誕生を促す重要な契機となりました。

その後次々と「対話論神学の地平」に連動した新しい夢も膨らみ、生来の「プロジェクト人間」である延原先生からは、さらに別添のような新提唱「友情の連鎖―地平の会の組織論および出版助成の会の方法について」までもが生み出されるに至りました。
そして別添「趣意書」にあげましたような馴染みの方々で、「助成の会」の「発起人」を構成し、その代表に小野寺先生が決められていました。舞台裏のことではございますが、急遽小野寺先生のご意向で、先生は顧問に、代表に私をご指名になりました。ご相談の結果、小野寺先生にはより高所にたってご指導を仰ぎ、会の実質的な大黒柱の顧問ということで、「裏方の代表」の意味合いで、全くその柄ではございませんが、快諾させていただくことになりました。

こうして、延原先生の完成原稿を手元にしてからはや半年以上が経過いたしましたが、この時間の経過は、誠に貴重な日々でありました。

このたび機が熟しまして、正式に「延原時行出版助成の会」誕生の運びとなりました。そして今回の著作を仕上げていただく出版元を、小野寺先生の多くの見事な著作を刊行してこられた「春風社」と折衝することに決め、このたび別添の「出版概要書」を作成していただくことができました。

この「出版概要書」を踏まえて「趣意書」並びに「予約申込書」「推薦書」等が出来上がっております。ただし、御覧の通り、すべての連絡先が著者ご本人のところに集中し、本来ですと裏方作業を「裏方の代表」の方で引き受けるべきところですが、諸般の事情と、今後の会の展開などを勘案して、ご提示のような形でスタートすることになりました。

以上、誠に言葉足らずで、要領を得ない「ご挨拶」となりました。私たち発起人の意のあるところを御汲み取りいただき、まずは、新著『対話論神学の地平−私の巡礼のなかから』の刊行が、予定通り順調に、目出度く完成にこぎつけることができますまで、発起人一同、思いをひとつにして、努力してまいりたく存じます。

何卒、皆様のご高配とご協力、重ねてお願い申し上げ、発起人代表のご挨拶とさせていただきます。
謹白

2005年8月1日
「延原時行出版助成の会」世話人代表
鳥飼 慶陽

 
  
 

II.著者:ご挨拶

冠省

私は中学1年生の時の入信以来、日本人キリスト者として人生の歩みを刻みながらその中で折々に綴る信仰弁証論を残すことなしに、この国と世界(ことに東西融合的世界)への天命を果たすことは出来ない、と永く信じてまいりました。
いま、二つの感懐が心にきざします。

その第一は、戦後60 年目のこの時、日本のキリスト教徒は各自が自生の「告白録」(アウグスチヌス)を書き残す決意を「共同的に」確認しなければならぬ、という思いです。それはもう絶対の要請と感じられます。と申しますのも、戦後キリスト教は、集合体としては、大日本帝国のあの無残な敗戦のあとの失意と精神的虚脱の中からの転向を主調音とする運動として、いつメッキが剥げるかも知れぬ危惧なしとしないからです。それは、いまだもって、アメリカのキリスト教の変形的輸入文化を出ません。「変形的」というのは、たぶんにナショナリズムのねじれを含んだ、というほどの意味です。各自が自分の現場で掘り下げた自生の主張を持たないものだから、他者の思想と伝統を借りて隠された「ナショナリズム心性」をおずおずと主張している気弱な情景。そうした「ねじれキリスト教」はもう超脱すべきであります。

我々日本人キリスト者は、自生的かつ対話的キリスト教へと転じ、世界的に発展すべきであります。日本人が集合体として受けたアメリカ文化の影響(ことに敗戦の痛手)より深いところで、各自において神学のたましいが独自に燃え上がるべきであります。そのとき、我々は我々の一念発起が、いまこの時不遇をかこち怨念を磨く全世界のイスラム教徒に「自爆テロ」でない創造的な世界形成を呼び掛ける原質を本来的に有する、と知るべきです。移民の国アメリカ合衆国の古い文化を知らない粗暴な世界支配の方式は、日本に対してもイスラム諸国に対しても、軍事的に勝利しましたが、さて、魂の「語り掛け」の次元の勝負はこれからです。神学的説得の時代が到来せねばなりませぬ。折しも、合せ鏡のように、アメリカ神学に「対話と平和」モティーフが「9・11」の苦悩の中から澎湃として起こって来ております。そこに地球的希望が見えます。(拙稿「9・11とアメリカ・キリスト教平和思想――プロセス神学の場合」『軍縮地球市民』創刊号、2005年6月刊、参照.長期連載エッセイの第一回草稿。)

第二に、こういった意味では、ここ数十年のあいだ果敢な展開を見ました、日本文化の欧米キリスト教文明圏に向けての旺盛な翻訳紹介(主に、先駆的欧米宣教師による)は、対話論神学の啓蒙期を彩る文化的貢献として、慶賀すべき偉業でした。しかし、今や対話論神学は啓蒙期を超えます。その地平は、日本人キリスト者による日本的精神土壌との内省的対話に発した上で、欧米キリスト教との文明間対話に展びて行く如き、いわば「アウグスチヌス的告白録」の時代、対話論神学の本格期、に踏み込みます。アウグスチヌス(354‐430)は内省的「告白録」を続ける中で、時代の思想である新プラトン主義とローマ文明の根底を破る永続的キリスト教哲学を開拓いたしました。深く学び、もって瞑すべきであります。

我々の神学は、民族的怨念という集合的宿業から徹底的悔悟において自由になる過程を示します。この過程が示す世界史的段階においては、一句「深く自己を掘ることなしに、他者に知識を語るなかれ」が、我々の至当な自戒となります。自己が他者に対して悔悟(免罪符の購入)を強要する錯誤は、16世紀のマルティン・ルターの宗教改革の発端、かの「贖宥の効力に関する95箇条の提題」、が抉るところでしたが、他民族に対して悔悟と改宗を強いる錯誤(主に、道徳的政治的自我の主張による錯誤)は跡を絶ちません。神学の要務は、これの超脱であります。

*     *     *

この度、ほぼ45年の幾星霜ののちやっと完成に漕ぎ着けました拙著『対話論神学の地平 私の巡礼のなかから』は、右のような微意を実現することを期する私のライフワークの一歩であります。はじめ、この書の刊行に就きまして旧友中井博雅氏(エーザイ前会長・現取締役相談役、早稲田教会会員)に相談いたしましたところ、懇切なご教示を頂き、「延原時行出版助成の会趣意書」と「予約申込書」を作成することが出来たのでありました。深く感謝いたしております。

その際、ことを興すに際して、気心の知れた親しい友人だけの輪を中心に、尊敬する小野寺功先生(清泉女子大学名誉教授)のご指導を仰ぐという基本方針に徹する幸いを享受いたしております。先生の「御書評のお便り」は、何よりも有難い、天来の恩寵の徴であります。心より厚く御礼申し上げます。さらに、顧問ご快諾、代表ご推薦のご書状を戴きました。

こうした事情を酌んで、春風社社長三浦衛氏より上記著書の刊行に就いてご快諾いただき、「出版概要書」を作成いただきました。謹んで深謝申し上げます。

小野寺先生を顧問にいただき、同志社時代よりの思想的同行者・鳥飼慶陽牧師(代表)はじめ発起人のご友人方のご友情を受け、三浦衛社長殿のご高配のもと、出版助成の会が発足致しますことを深く感謝する者であります。ことに、代表 鳥飼師には、著者としては見えぬ、いわば背中の物語を暖かい筆致で綴った懇切なご挨拶を頂き、感激の極みです。有難うございます。

上にも述べましたとおり、私はライフワークの完成に関する衷心からの念願を持ってこれらの幾星霜を生きて参りました。拙著表題にある、対話論神学の地平を拓く、という日本人キリスト教徒の「公的念願」はその一つであります。その根底に天来の恩寵あり、その先にこの時代における我ら21世紀人類共通の使命あり、それはそれは躍動する感動の念願であります。

別に同じく45年かけて彫琢してまいりました一書『受肉の神学――救済論と形成論』、最近の草稿『続・ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>――神と空の哲学』『アンセルムスと仏教的智慧』もほぼ完成に近づいております。(別に、英文著四部作もすすめております。)何とかして、日本人のハートで信じ、東西文明に通底する知性によって考え抜いた、哲学的神学の一大潮流の形成に、私も微力を貢献できぬものかと念じます。折しも、小野寺教授からいただいた暑中見舞いのお葉書に、「いよいよ時が来ました、『絶対無の神学』の確立に向けて集中したいと思います」という感動的文字を拝見いたしました。この時、上述のような思いの中から、今二つの具体策を考慮いたしております。

 
 
考慮1: 上記拙著の出版助成の会の発足。射程は、あくまでも「対話論神学の地平」の趣旨にかなう複数本の刊行にまで展びます。
考慮2: 上記拙著の内容をガイドラインにして、友情をばねとした親しい集まり「地平の会」The Horizon Clubを、東京・京都・大阪・神戸・新潟で一年に数回任意に開催したいと思います。対話論神学を中心に様々な分野の《地平を拓く人》のお話を聴いて、21世紀を活気ある時代にすべく共に愉快に勉強するためであります。この会は別途、沈思黙考の上、じっくり始めます。
 
 

右、ご挨拶申し上げます。
草々不一
2005年8月1日
延原 時行

 
 

III. 延原時行著『対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから』
出版助成の会 趣意書(予約の部)

1.名称: 延原時行著『対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから』出版助成の会:予約の部
2.目的: 本会は、春風社:http://shumpu.com/ による出版概要書にある、上記出版に関する助成を目的とする。助成の一環として、予約の部を設け、予約者を募る。(なお、出版助成は、その基盤をあくまでも自己資金とした上で、特別に、秘められた公的念願を理解する篤志家(団体優先)のご支援を謝する趣旨から、非公開である。)
3.発起人:
顧問 小野寺 功(清泉女子大学名誉教授)
代表 鳥飼慶陽(賀川豊彦研究家、日本基督教団番町出合いの家牧師)
  荒井 魏(毎日新聞社学芸部編集委員、敬和学園大学客員教授)
北嶋藤郷(敬和学園大学英語文化コミュニケーション学科長・教授)
高橋 稔(日本基督教団中条教会牧師、敬和学園常任理事)
中井博雅(エーザイ前会長・現取締役相談役、早稲田教会会員)
(敬称略、あいうえお順)
 
3.予約目標: 500部(1部3, 500円)
5.予約金の申込み: 趣旨にご賛同賜り、ご協力いただけます場合は、同封の申込書に記入の上、下記にご返送ください。
〒957-8585 新潟県新発田市富塚1270 敬和学園大学
延原時行出版助成の会事務局
6.締切日: 2006年3月15日
7.: 予約者には、上記著書該当冊を、刊行後、出版社よりお送り申し上げます。
8.予約金口座: 郵便振替口座 00590-9-41862
加入者名 延原時行
(通信欄に出版助成への予約金とお書きください)
9.お問合せ先: 〒957-8585 新潟県新発田市富塚1270
敬和学園大学教授 延原時行

電話(大学):
0254-26-3636、FAX:0254-26-3646
Email:nobuhara@keiwa-c.ac.jp
Website: www.keiwa-c.ac.jp/ipo/

電話/FAX(自宅):0254-26-3939
E-mail: tnbhara@cocoa.ocn.ne.jp
備考:別紙1 ( 以 上 )
 
 

延原時行出版助成の会
発起人代表
鳥飼慶陽様

IV.予約金申込書

年  月  日

延原時行著『対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから』出版助成の会の趣旨に賛同し、下記金額を申し込みます。

一金       ________円也

内訳:予約金 3,500円×(          )冊=(          )円也

    送金方法(該当に印をお付け下さい)
       □郵便振替口座振込
       □現金送金
       □その他(                                        

       ご芳名(団体の場合は団体名と代表者名)

       ________________________

       ________________________

       ご住所 〒________________________
                       
       電話番号:________________________
           
       E-Mail Address:________________________

       備考:別紙2

 
 

V. 延原時行著『対話論神学の地平
―― 私の巡礼のなかから』に関する
小野寺功先生の御書評のお便り(2005年2月25日付)

*小野寺先生の御親切な御閲覧に心から御礼申し上げます。(2005年3月3日 延原時行記)

先日は早速に「対話論神学の地平――私の巡礼のなかから」を御恵送下さり、有難うございました。少し前に、九州のシスター亀松善江という方から、本多正昭さん(延原注:小野寺先生の親しいご友人、カトリック哲学者、産業医科歯科大学名誉教授。主な著書に『超越者と自己―滝沢・阿部論争によせて』『神の死と誕生―「即」の展開を求めて』『人間とは何か―矛盾相即的世界』がある)の傾倒しているトーマス・ハンド神父のAlways a Pilgrim: Walking the Zen Christian Path が送られてきて、道は多少異なっていても、何か深い共時性のようなものが感得され、感慨深いものがありました。ハンド神父は今、アメリカですが、昨年来日され、鎌倉のイエズス会の修練院で、黙想会があり出席しました。その時のミサ聖餐で、「父なる神、母なる神、根源なる神」という祈りをされたのには驚き、また深い感銘を受けました。ただ一度だけ使用された祈りですが。しかし、内側から自ずから溢れ出た自然の祈りでした。ハンド神父はカトリックの基本を崩してはいませんが、その基本を徹底的に洗い直しています。本多さんはその直接経験に感動しているのでしょう。

今度の延原先生(延原注:先生、というのは、後輩の私には不適当極まりない呼称である。これはひとえに先生の謙虚なお人柄の表現である。1992年ボストンで「仏教とキリスト教の対話国際学会」が開催された折、初対面の私にのっけから「あなたの『仏教的キリスト教の真理』には感動した。是非、寿司をおごらせて欲しい」と仰った小野寺先生のことである。高名なカトリック哲学者/神学者として、『大地の神学』『大地の哲学』『大地の文学』の三部作の後に、『絶対無と神―京都学派の哲学』『聖霊の神学』を矢継ぎ早に刊行され、いまや、洛陽の紙価を高からしめておられる時代の先端的思索家。恩師滝沢克己先生亡き後、拙著の一番の閲読判定官は、私にとり、小野寺先生以外にないのである。ここではカトリックとプロテスタントのあいだの相違は、むしろ対話の妙味なのである) の論考を拝読し、これと似たような感銘を受けました。ハンド神父が生涯を賭けてアメリカ人として東西の霊性文化に架橋したのと逆対応的に延原先生は、日本人として突破口を切り開いたという印象を受けます。少なくとも滝沢先生が先駆的に開拓された道を、その精神的遺産を正確に継承しつつ、大きく前進させておられると思います。

特に形而上的神と宗教的神の二重の真理を統合され、それを三点に要約され、私共に提示されたことは、私にとってこの上なく有難いことです。キリスト教的真理と仏教的空観の統合、一致によって、キリスト教自体が、二十一世紀にふさわしい形で再構築されることを確信致します。それがイエス自身が、弟子達との別れに臨んで、聖霊に全托したことの意味であると私は解釈しています。

しかもそれを「在家称名」という形で具体化されたことは、私共カトリック者にとっても無縁なことではありません。この大地化の道を通さなければ、教会も生命を失うことになりかねません。今の文明構造は、そのようなことを要請していると、私も痛切に実感しています。「イエスはキリストであるとは、神われらと共にいますとの義である」とは、実に見事な定式化、称名化であると思います。「正に然り (アーメン) 」が、聖霊論的含蓄を伴っていることも、よく理解できます。この点、大いに参考にさせていただきます。

その他、結論的に最も感銘を受けたのは、「常不軽菩薩キリスト論」です。「まことにこの人は神の子であった」という感嘆は、恐らくここから湧き出てくるものでしょう。私は宮沢賢治の生涯の最後の理想がここにあったことを知り、特に共感させられました。

延原先生が、キリスト教神学を窮めるにあたって、地を這う実践から出発したことに深く感謝するものです。触発された感想は、その他数多くありますが、長くなるので、その折り折りに書くことに致します。新しく知った事実としては、「夕べの祈り」の作詞作曲には、深く心動かされました。

入信の出来事は、少年もまた実存的深淵をもつということで、事例こそ違え、私も全く同じです。魂の軌跡は生涯一貫するものだということをつくづく感じさせられます。遠藤周作は最後にヨブに到達しましたが、延原先生の場合は、最初にこれがあったのですね。ニイチェ、ドストエフスキーは、必然の道です。

また私が全く知らなかったのはジャックリーン・ケネディ・オナシスについてです。この一文には、実に教えられました。認識を変えられたとは、このことです。

「キリスト教と私」の(と)の解明こそ、この書の要であると思いますが、これこそ二十一世紀の中心命題です。春風社から出版されることになったら本当に嬉しいことです。今後とも色々と御教示いただきたいと思います。至難な精神的旅路の同伴者となり得るなら幸いです。

右、とりあえずお礼まで。
         二月二十五日

                           小野寺 功

延原時行様

備考:別紙3

 
 

2005年3月31日

VI.友情の連鎖十箇条:Ek Pisteos Eis Pistin
――地平の会の組織論および出版助成の方法について

12わたしの戒めは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。14あなたがたにわたしが命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である。15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聴いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。  (ヨハネによる福音書15章12節−15節)。 

 
 
(友情を絆にした組織論:友道)
1. 21世紀初頭の今日、世の中は組織論と言えば、生き残り作戦でもちきりであります。少子化時代の「大学生き残り」だとか、ベンチャー企業による「企業買収」だとか、Peak Oilを知った大国による「石油争奪戦」だとか。わたしたちはこれを疑います。わたしたちは友情を絆にした組織論を考えます。その意味は、友情の連鎖により社会を組織、運営する方法論、ということであります。その全体性を友道(ゆうどう)と呼びます。友道は、必ず非公開なる沈思黙考に先立たれつつ、その内容を伝え、公開いたします。

(イエスの友の具体的普遍性:キリスト教を超える地平:他者完結ad infinitum)
2. イエスが始めた運動はそれ(友道)でありました。所謂キリスト教の贖罪愛は元々、13節にあるように、友情の発露でした(マルコ10:45はここの所を「多くの人の贖いとして自分の命を与える」と書いています。「多くの人」とは同志のこと)。14節は、これに応える姿が――どのようにキリスト教的な言葉で言われようと言われまいと――イエスの友の生き方である、としています。この生き方、友道は、時々刻々 具体的=普遍的に進展するものであって、宗派としてのキリスト教を超える地平 を見せてくれます。それは自己完結せず、他者完結ad infinitum(無限に)のは たらきです。「一粒の麦もし死なば、多くの実を結ぶべし」(ヨハネ12:24)。

(イエスの友の具体的普遍性:キリスト教を超える地平:他者完結ad infinitum)
2. イエスが始めた運動はそれ(友道)でありました。所謂キリスト教の贖罪愛は元々、13節にあるように、友情の発露でした(マルコ10:45はここの所を「多くの人の贖いとして自分の命を与える」と書いています。「多くの人」とは同志のこと)。14節は、これに応える姿が――どのようにキリスト教的な言葉で言われようと言われまいと――イエスの友の生き方である、としています。この生き方、友道は、時々刻々 具体的=普遍的に進展するものであって、宗派としてのキリスト教を超える地平 を見せてくれます。それは自己完結せず、他者完結ad infinitum(無限に)のは たらきです。「一粒の麦もし死なば、多くの実を結ぶべし」(ヨハネ12:24)。

(地球的宗教性:対話論神学の地平と自己超越:大地の神学/哲学:イエスのエコロジー)
3. いま宗派と言いましたが、キリスト教は地球的宗教性Global Religiosityの一宗派なのです。その事の確認の手続きが、所謂宗教間対話、わたしどもの対話論神学でありまして、この手続きによりわたしたちは自宗派と他宗派の出合いと対話の「地平を目差す」振る舞いに生きたく思います。出合いと対話の「地平を目差す」とは、自宗派の具体性の中から、その底であると同時に他宗派との《あいだ》である彼方へと、対話の中で自己超越する志を貫徹することです。振る、とは沈思黙考しつつ学ぶこと、舞う、とは自分で発想し動き伝えることです。かくして、21世紀の地球時代にふさわしい精神性に共に参入したいものです。
(2) この精神性は、旧時代の絆である国家主義や愛国主義を超えて、大地とともに普遍的です。つまり、地平に向かって立つ精神性として普遍的です。21世紀の地球的友愛の普遍性でありますから、この精神性は、誠に、「大地の神学/哲学また文学」(小野寺功)として窮められなくてはなりません。その普遍性は、夙にイエスの言葉に刻まれています。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)。イエスの場合、この愛敵精神の大地的基盤は、以下の如くです。「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らせて下さるからである」(マタイ5:45)。これをイエスのエコロジーと名付けます。

(イエスの友情の発露:地平の会の学び/懺悔:歴史問題と未来セラピー/地球市民)
4. 友情の絶頂は、自由な説明責任Free Accountabilityの遂行でありまして、15節の意味しているものは、そのことの最も神秘的な具体相です。イエスにおける神内部の生命の開示――聖霊における開示――こそ彼の友情の発露でありました。それの学びに、対話論神学の地平の会は、繋がります。21世紀の地球的友愛の冒険精神である「対話論神学」の志において、「友愛なき我を許し給え」と懺悔しつつ、繋がります。
(2) 所謂歴史問題は、いずれの国の国家主義(愛国主義)の立場からでもなく、地球的友愛(第3条、参照)のイエス的命法の見地から、沈思黙考、反省、懺悔されなくてはなりません。その時、初めて未来志向の癒し(未来セラピー)がわたしたちを訪れます。そこから、全く新しい人類、地球市民が誕生いたします。国家意識から地球意識へと自己超越しながら。

(出版助成の会:予約の方法:発起人推薦と一般公開:Inter−Universityとe-friendship)
5. ここから、具体的な話に移りますが、先ず、出版助成の会:予約の部の方法といたしまして、発起人による推薦の方法を採用いたします。発起人によって10名以内の出版助成の会:予約の部賛同者を自由にご推薦頂きますならば、事務局より書類一切を正式送付させて頂くことが出来ます。必要ならば、次に、第二段階の推薦といたしまして、被推薦者に新たに自由に推薦者になって頂くことも可能かと存じます。これを称して、友情の連鎖、と申します。
(2) 友情の連鎖の方式は、「信実から信実へ」(ek pisteos eis pistin, from faith into faith:ローマ書1:17)の聖書的伝統を今日的世界に再演することを志すものです。原意は、「イエスの信仰から信徒達の信仰へ」でありますが、こと信仰と思想の伝達方式に関して、これに依拠する以外適正な在り方を考えることが出来ません。私達は、《ek pisteos eis pistin》を友情の連鎖の合言葉にいたします。これは、キリスト教的コミュニケーションの原則であります。
(3) 右の原則により、友情の連鎖の正式書類は全て「       様のご推薦により
        様へ:Ek Pisteos Eis Pistin」と明記させていただきます。
(4) こうした基礎の上に、出版助成の会:予約の部のあらましを自由に一般公開いたします。(後段第8条末尾のHP:PDE Inter-Universityニューズレター愛読者友人宛に。それも、非公開なる沈思黙考の徹底の後に、です。)それは、わたしたちがon-lineの友愛を固く信じるからです。福音書の中でイエスが「群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた」(マルコ8:34)という重要な記述は、現在のインターネット新文明の言葉に翻訳すれば、普通郵便の友情とon-lineの友愛(HP+e-mailの形)の双方の可能性をイエスの友道の中で呼びかけられたものと、再解釈することができます。On-lineの友愛により、イエスの友道は、地球的普遍性の具体的方途を獲得することになります(第3条、参照)。ここにInter-University (注:大学と大学の《あいだ》の広大な社会空間にインターネットを媒介にして成立する知的交流共同体)の民主主義(双方向性)が大学のサバイバル競争を超えて確立いたします。この民主主義がこれからの世界を規定するでしょう。
(5) こうした点に鑑み、今やイエスの友道は、私たちの場合、PDE Inter-Universityとの連携において、e-friendshipとなります(詳細については、第8条(2)及び(3)、参照)。E-friendshipは、友情の連鎖のon-line面として、イエスの自由な説明責任の遂行(神秘の開示)に対する自由な応答の連鎖(友情の連鎖)の象徴です。

(友情の連携:沈着の歩み)
5. こうした事すべては、顧問、代表、著者のあいだの友情の連携の中で、よく非公開なる沈思黙考のうえ話し合い、十分見えてきたところで、発起人の皆さんに諮り、また三者でよく話し合い、実行に移してゆきたく考えます。これを沈着の歩みと称します。

(地平の会The Horizon Clubの発足と三大精神:倶楽部の大地性/地平/地平の彼方)
6. 『対話論神学の地平』の内容をガイドラインにして、友情をばねとした親しい集まり「地平の会」The Horizon Clubを、東京・京都・大阪・神戸・新潟で一年に数回任意に開催したいと思います。対話論神学を中心に様々な分野の《地平を拓く人》のお話を聴いて、21世紀を活気ある時代にすべく共に愉快に勉強するためであります。
(2) 第6条に記した沈着の方法は、地平の会についても同様であります。ただし、地平の会は、出版助成の会が十分成功裡に発足してから、非公開なる沈思黙考の上、見えて来た所で、よく話し合い、断固、発足運営したく祈念いたします。地平の会は、英語名をThe Horizon Clubと称します。趣旨は、第2、3、4条に謳いました。@イエスの友情からの発現、A対話論神学の志(イエスの教えた愛敵精神)、Bイエスにおける神秘開示の恩寵の伝統の受継ぎ、の三大精神であります。
(3) この三大精神を堅持する限り、地平の会The Horizon Clubは、21世紀にふさわしい倶楽部の雛型として、芥子つぶながら凛とひかり他の倶楽部(注:ロータリークラブなど)に負けず、生き続けることでありましょう。すなわち、わたしたちはイエスとともに大地に立ち、地平を望み見つつ対話実践に励みつつ、地平の彼方から来る神秘(恩師滝沢克己先生の言われる「インマヌエルの原事実」)に打たれるのであります。大地性、地平、地平の彼方:地平の会の三相であります。

(出版助成の会の奉仕:地平の会の資源:社会活動と情報公開:Inter-University新展開)
8. 出版助成の会(非公開)もその予約の部(公開)も、単に自己目的的ではありません。所期の目的を達成したならば、必ずより大きな目的、すなわち地平の会の発足と運営に寄与奉仕するものであります。どのような組織も、より大きな目的を持ち、それに奉仕することによって、命を全ういたします。この精神から同会は、地平の会の発足についてその原資の一部に貢献することを念願といたします。そのため、同会に寄せられている浄財が活用され得ましょう。奉仕と資源のあり方は以後、地平の会の社会への責任的態度(CSR=Club's Social Responsibility)に貫徹されます。ここに、地平の会The Horizon Clubの、倶楽部としての真骨頂があります。
(2) こうして、@出版活動(注:将来可能ならば、複数著者の複数著書の刊を目標する)、A地平の会活動(注:対話論神学の地平に焦点を絞りに絞った上でイエスの友道の実践を広く目指す)、B社会奉仕活動(注:Inter-University活動支援/新展開、対話教育のための奨学金等)、の三活動が有機的に関係し、かつ相互循環することとなります。相互循環により内容の豊潤化が促されます。そのために、必要な情報はHPで公開可能です:PDE Inter-Universityニューズレター:http://www.keiwa-c.ac.jp/ipo.等。
(4) これは、第5条(2)に述べたe-friendshipの具体的「活動」構想です。@出版活動、A地平の会活動、B社会奉仕活動、の三者が絶えずe-friendshipを潤滑油にして相互循環、相互豊潤化される時、イエスの「群衆をも呼び寄せて」の寛やかな宣教態度は現代化されます。そこに現出する三活動の力動的進展は、未来に属します。その事の、ことに日本における可能性の基盤については、トーマス・ブレハ「ブロードバンド経済の覇者としての日本:アメリカに巻き返し策はあるか」『論座』2005年6月号、286-98頁、参照。因みに、Bに述べる「Inter-University活動支援/新展開」とは、(i)HP作成に関する支援;(ii)Inter-University(on-line)と各地(東京、京都、大阪、神戸、新潟等)における「地平の会」賛同者による各種自由大学講座の試みとの連携、を含む企画のことであります。
(5) 後者の場合、七つの重要事項があります:
  @ 自由大学講座を「地平の会」は会として友情認定することができます。友情認定とは、相互の学問的友情の確認ということであります。
  A また、既成の大学との連携も同様に可能でしょう。Inter-Universityから見れば、各種自由大学講座はスクーリング活動とみなすこともできます。場合によっては、こうした自発的な市民レベルの講座の個別ないし複数大学による単位認定(注:単位認定は各大学の決定事項)が、「地平の会」との連携の中でスムーズに実施可能になってゆくならば、既成の大学と大学の《あいだ》に湧出するInter-Universityは、誠に逆説的な仕儀でありますが、巨大な市民レベルの《大学運動》への奉仕となることでしょう。
  B その場合、連携の鍵は、先述の「友情認定」(注:あくまでも友愛の主体同士の相互認定)です。これを、「友情の連鎖」によるInter-Universityと自由大学連携論と名付けます。
  C いずれにせよ、事は、あくまでも対話論神学の地平の探究に絞りに絞った求心力があった上での、自発自展する遠心力の課題です。時代の中で「地平の会」の奉仕と貢献の求められるや切なりと申せましょう。けだし、右に記した《大学運動》は21世紀にとっての緊要事なるも、《大学》は「生き残り」競争という利害を離れることは至難ゆえこれを主導できないからです。ひとり「地平の会」The Horizon Clubのような自由な倶楽部にして可能な推進事項です。
  D もしもそうならば、「地平の会」は21世紀の雇用システムの不備の救済を提供するものであるのかもしれません。今日、新聞社等の引退者が、大学講師になることで再雇用先を得、大学等の引退者が、牧師試験のための修練期間を経て受験し、日本基督教団教師試験制度の新ルート(注:既成の教団立ないし教団関係神学校卒業によらぬため「Cコース」と言う)から牧師になることで再就職先を獲得するというような趨勢が散見されます。これの象徴しているのは、しかし、巨大であります。すなわち、「引退後の生活」を何とかして「社会的熟成」に変容させねばならぬという21世紀社会の巨大なニーズです。このニーズを真に洞察しつつ、これに適切な社会改革の勇猛心を持って応える質をもつ運動が「地平の会」であります。
  E 適切な社会改革の勇猛心とは、以下の諸条件を指します。(i)「地平の会」は倶楽部であるので、ロータリークラブのように、社会活動を旨とする。(ii)しかし、対話論神学の地平を追究する学術的倶楽部であるので、成員各自の、出版、会合、ライフワークの完成、を主軸とする。(iii)65歳から100歳までの人生の熟成を社会的に図ることを目的にする。(iv)「地平の会」はHPを持ち、そこに常に半年毎の「対話論神学の地平」関係の講演、スピーチ等の演題の掲示を各成員に促し、実施する。(v)各成員は自由に各地の自由講座に参加、発表、親睦を図ることができる。成果は、HPに公開することができる。(vi)「地平の会」The Horizon Clubは国際化することができる。(vii)今回発足する「地平の会」は地平の会運動の雛形であることを志す。地球時代に相応しいグローバルな社会的自己教育システムであることを目差すからである。その基盤は、現在、各自が引退後も、PCを所持活用している事実にある。つまり、グローバル図書館の完備である。あと必要なのは、授業日時と場所の掲示であるが、それは「地平の会」のHPが担当する。こうしてInter-Universityが実践される。(viii)「地平の会」はその運動実践により現役活動年齢の社会とのあいだに、社会的尊敬のバランスをとる。その必要の時代的理由は以下の如くである。おそらく、あと数年で訪れる「団塊の世代の大量引退」により日本社会はその活動をずたずたにされるやもしれない。これは明治維新時の廃藩置県による武士の失職にも似た激変である。現役世代の経験不足と暴走(注:JR西日本福知山線事故をみよ。)は、社会的尊敬の比重に関するアンバランスが促しているのであるが、日本社会に普遍的な「長老の不在」「長老への残酷」は適切に訂正される必要がある。(ix)米国学会に見られるような「publish or perish」(出版せよ、さもなくば死ね)という現役世代の過酷な過当競争は、社会的尊敬に関する誤った業績主義に由来する。本当は、落ち着いた沈思黙考と友愛に満ちた会合と財政的支援こそが人々のライフワークの完成を豊かに促すのである。(x)吾人は熟成社会を、「地平の会」運動とInter-Universityによって目差す。
  F 以上の素案は、21世紀の社会教育の機関としての「地平の会」が、20世紀の社会教育の機関「ビジネス・スクール」(ピーター・ドラッカー発案:競争的活動社会案)を模範としつつ、十分なひねりを加えて作成したものであります。ひねりは、「対話論神学の地平」(対話的熟成社会案)への関心の集中でありまして、21世紀の重大事であります。ドラッカー案も、近年CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)の主張を盛り込むことで21世紀の熟成社会への企業の貢献を指示してきましたが、私はむしろ熟成社会そのものの自発的育成から発想いたします。そして両者は協働(シナジー)を図るべきだと考えます。しかし、こうした素案の実現はすべて、未来に属します。

(地平の会の存在意義:人のいのちとしての友道)
9. 21世紀における倶楽部としての地平の会The Horizon Clubの存在意義は、第3条と一致して、党派でも愛国主義でも学会でもない所に、イエスの友道を生きることにあります。党派の生命は政治的団結と綱領の政策化および実践にあり、愛国主義の生命は宗教性の一民族化にあり、学会の生命は学説の主張と批判的練磨と競合発展にありましょう。しかし、いずれも、イエスの「『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなた方の聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:43−44)という、隣人愛を超える友愛の普遍的命法は本務といたしません。イエスの場合、友道が本務でありまして、「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)と言われている通りであります。
(2) イエスの遺そうとされたのは、自己崇拝(すなわち、崇拝者の群れの惹起)ではなく友道とその継続でした。これはあらゆる教理、学説、綱領をこえる《人としてのいのち》であります。こえる、というのは、それらの限界を見定めた上で、内容的豊潤化をはかる、しかも友道と対話によってはかる、という意味です。ここにいのちがあります。地平の会の目差す《地平》とはこの《いのち》でなくてはなりません。地平の会は、「人のいのちの倶楽部」を目差します。

(地平の会のメタボリズム:求心と遠心:合言葉と21世紀の霊性/教育:持続可能性)
10. この《人のいのち》を「対話論神学」を通じて求めるのでありますから、地平の会は、真摯な勉強会と楽しい修養会を併せ持つことになるでしょう。倶楽部活動の求心と遠心であります。いずれも時々の《地平を拓く人》を中心にしたメタボリズム展開です。そこで、わたしたちの地平を拓く合言葉はこうであります。「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者(注:友愛において全く開かれた者)となりなさい」(マタイ5:48)。
(2) 21世紀の冒頭に立ってこの合言葉は、国民国家体制(愛国主義)から地球中心主義的文明態度へと《文明の地平》が切り拓かれねばならない人類の窮境において、グローバルな道徳規範の原点を示す霊性です。この霊性を尊重しない国家、民族、社会は核兵器と謀略と独裁にもかかわらず、いやそれゆえに、必ず滅び、これを守る人々は勇躍地球時代の担い手として持続可能な生を開拓することでしょう――次世代の青年たちを国境と宗差を超えて練磨教育し、偏見と暴力から守りつつ。「柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受け継ぐであろう」(マタイ5:5)。
   
提唱:延原時行
備考: 別紙4。付録:推薦書(次頁より)。なお、第5条末尾に記しましたように、on-lineでも「助成(注:予約)申込書」及び「推薦書」は、他の資料とともに、公開していますので、両文書をプリントアウトの上、ご返送いただけます。宛名は、「趣意書」お呼び「推薦書」末尾に記載の通りです。 
 
  
 

延原時行出版助成の会
発起人代表
鳥飼慶陽様

VII. 推薦書

年  月  日

    推薦者
    ご芳名
     _____________________________

     ご住所〒_______________________________

     電話番号____________ E-Mail Address___________

延原時行『対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから』出版助成の会の趣旨(注:助成は予約金による)に賛同し、以下の可能的賛同者の推薦をいたします。Ek Pisteos Eis Pistin

1.ご芳名(団体の場合は団体名と代表社名)

     __________________________

    ご住所〒_______________________________

    電話番号____________ E-Mail Address___________

2.ご芳名

     __________________________

    ご住所〒_______________________________

    電話番号____________ E-Mail Address___________

3.ご芳名

     __________________________

    ご住所〒_______________________________

    電話番号____________ E-Mail Address___________

4.ご芳名

     __________________________

    ご住所〒_______________________________

    電話番号____________ E-Mail Address___________

5.ご芳名

     __________________________

    ご住所〒_______________________________

    電話番号____________ E-Mail Address___________

 

お願い: 「友情の連鎖」の趣旨にご賛同賜り、ご協力いただけます場合は、本推薦書に記入の上、下記にご返送下さい。

〒957−8585 新潟県新発田市富塚1270 敬和学園大学
延原時行出版助成の会事務局

お問合せ先:電話/FAX (自宅):0254−26−3939
E-Mail:tnbhara@cocoa.ocn.ne.jp

(以上)

 
 

2005年8月30日

VIII. 出版概要書(改訂)

春 風 社
〒神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘
横浜市西区紅葉ケ丘53横浜市教育会館3F
TEL045(261)3168
FAX045(261)3169
代表取締役 三 浦衛
HP: http://shumpu.com/

 

 

 

 
 
書名: 「対話論 神学の地平 私の巡礼のなかから(仮題)
著者: 延原時行
発行所: 春 風 社
出版形態: A5判上製カバー装4色/本文約320頁
製作部数: 1500部
定価: 3,500 円(税込)
著者ご負担: 120万円(税込)

販売先: 全国書店への流通
インターネット書店への流通
一般読者、大学の研究者、大学図書館、公共図書館
その他
販売・宣伝方法: 新聞社、雑誌社などへの献本及び書評依頼
日本書籍出版社協会編「これから出る本」への掲載
大学図書館、公共図書館への営業活動
小社ホームページでの紹介
有料広告、その他
備考: 付録2

 
 

IX.対話論神学の地平――私の巡礼のなかから
The Horizon of a Dialogical Theology: From My Pilgrimage)

延原 時行 著

目次:

はしがき

プロローグ: 入信から対話論神学まで――私の巡礼
(「キリスト教と私:『と』の不思議」『Keiwa College Report』第4号、1994年4月刊;「仏教とキリスト教の対話――それが指示する学問の将来像」『私学時評』1994年7月号)
(一) キリスト教と私――「と」の不思議
(二) 仏教とキリスト教の対話――それが指示する学問の将来像
(三) 本書の結構を浮彫りにするための五つの指摘

巡礼I:実存の深淵から

第一章: ヨブに関する若干の詩的断片
(日本基督教団伊丹教会学生部会誌『つのぶえ』第11巻第2号、1960年12月刊;第11巻第3号、1961年4月刊;第12巻第2号、1961年10月刊)
一 詩的断片A――ヨブ
二 詩的断片B――ヨブのmortificatio (死滅)
三 詩的断片C――ヨブのユーモア
第二章: 『罪と罰』における思想の機能について
(『理想』No.459、1971年8月刊)
一 予備的考察
二 思想の現象学
三 原状況からの人間本性の現われ
四 結語

巡礼II:イエスとの出会い――関係性のあけぼの

第三章: 「関係の絶対性」とは何か?:「マチウ書試論」からの出発
(『ピエロタ』第13号、71年冬)
一 「関係の絶対性」の再検討
二 吉本隆明のマタイ論の水準
三 「関係の絶対性」の視点をめぐる吉本と田川の異同
四 イエスのロギアと「関係の絶対性」の原意
第四章: ボンヘッファ−における倫理の基底の探究
(『基督教研究』33巻3号、1964年)
一 倫理の基底
  A.倫理の可能的基底
  B.倫理の相補的構造と相補的志向性
    1)人間の精神性と社会性の相補性
――社会哲学的解明
    2)人格と共同体の相補性
    3)倫理の相補的志向性
――社会学的解明
  C.倫理の必然的基底
  D.倫理の現実的基底
二 今日的表現の課題性

巡礼III:対話論神学の地平

第五章: イエスの対話論宣教学:マタイによる福音書15章21−28節の釈義と黙想
(『アレテイア』No.17、1997年6月刊)
第四章:
一 釈義
二 黙想
第六章: 対話論神学の方法――ティリッヒを超えて
(熊沢義宣・野呂芳男編『総説 現代神学』日本基督教団出版局、1995年刊) 
序 問題の所在――相関の方法から試金石の方法へ
一 滝沢哲学の先駆的意義
二 神中心主義かキリスト中心主義か
三 結語
第七章: 一 ヒック神学乃至宗教哲学との異同
  A 霊的巡礼
B 受肉論
C 宗教間対話論
二 在家キリスト教テーゼ――組織論的考察
三 結論
第八章: 在家キリスト教教程(草案:1975年1月5日脱稿)
一 称名
二 開題
三 総括
第九章: 基督心経(2001年12月27日脱稿)
はじめに
一 基督心経式文
二 基督心経開題
三 付言

巡礼IV:地平を超えて「すべての道で主を認めよ」(箴言3章6節):説教七題

第十章: キリスト教信仰の逆転(1994年6月8日)
一 ニヒリズムと「信仰の逆転」――使徒パウロの示唆
二 私の場合
結語
第十一章: ペトロとユダ(1994年11月11日)
一 ペトロと宗教的時
二 ユダと道徳的良心
結語
第十二章: ジャックリーン・ケネディ・オナシス(1994年6月3日)
一 マルティン・ルターの修道院入り
二 新しき義の発見
結語
第十三章: ルターの宗教改革の意義――新しい神の義の発見(2002年10月4日)
一 ニヒリズムと「信仰の逆転」――使徒パウロの示唆
二 私の場合
結語
第十四章: 良寛とキリスト――絶望即感謝のいのち
(2002年度キリスト教学校教育同盟大学部会集会「ともに重荷を荷うキリスト教大学――その固有の使命を果すために」開会説教;於敬和学園大学・ロイヤル胎内パークホテル:2002年9月12日−13日)
はじめに
一 良寛と常不軽讃仰
二 イエスは常不軽菩薩の受肉
結語
          後篇:良寛とパウロ
一 絶望の中での自知の人――良寛
二 絶望即感謝のいのち――パウロ
結語
第十五章: 21世紀の宇宙論的キリスト教――三つのうめき(2004年1月9日)
一 ビッグバンの意味――うめきつつ生みの苦しみを続ける宇宙
二 宇宙の待ち望むもの――人類(あなた)のうめき
三 聖霊のうめき
省察
第十六章: 我が心の歌(2004年10月29日)
序  新潟中越地震のなかで
一 入信の頃
二 夕べの祈り――作詞作曲の頃
三 神の恵みによって今日在る
四 在りて在る者に捧げる歌
五 「夕べの祈り」譜面

エピローグ:芭蕉の「古池」の俳諧味と私の対話論神学の巡礼

第十章: キリスト教信仰の逆転(1994年6月8日)
(一) 古池や――実存の深淵から
(二) 蛙飛び込む――イエスとの出会い:関係性のあけぼの
(三) 水の音――対話論神学の地平
(四) 地平を超えて――「全ての道で主を認めよ」:説教七題

付論:「非佛非魔」の立場と至誠心の神学

あとがき

(2002年12月15日作成;2004年8月1日;11月3日補筆)

注記: 芭蕉の「古池」の句の哲学的解釈については、拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>:仏教的キリスト教哲学の構想』(京都・法蔵館、2001年)序文、参照。因みに、この解釈の興味深い論評が岩井国臣氏の以下のHPに出ている:
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/2kouzou.htm
なお、ホワイトヘッドのプロセス思想、西田哲学、ハーツホーン哲学、アナロジー論、バルト神学、等に関する拙論については、以下の上智大学田中研究室気付「日本ホワイトヘッド・プロセス学会」HPを参照いただきたい:
http://pweb.sophia.ac.jp/~yutaka-t/process/nihongo.htm

備考:付録3

 

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