キャンパス日誌

敬和学園大学のキリスト教主義教育って?


敬和学園大学は、キリスト教の精神を教育の根幹に据えています。それは「人間らしい心を備え、自分と他者を愛することのできる人間を育てること」です。では、実際に学生生活においてどんな関わり方をするのか? 大学に入ってはじめてキリスト教に触れたという中澤さんと、敬和学園高校出身の松田さん。二人に、敬和学園大学のキリスト教を語ってもらいました。

PROFILE

松田奏音
国際文化学科2年/私立敬和学園高等学校出身

キリスト教系の高校に通っていた松田さんは、讃美歌を歌うのが好きだそう。将来はマスコミ関係の仕事に興味があるという国際文化学科2年生。テニス部。

中澤見佳
共生社会学科2年/私立東京学館新潟高等学校出身

大学に入ってはじめてキリスト教に触れ、当初驚きもあったが、今ではチャペルの時間は1週間の中でも大切な時間だそう。松田さんとは、大の仲良し。

はじめはピンと来ませんでしたが、今では大事な時間です。

二人は、キリスト教と出会った時期が違いますね。

中澤 私は、敬和学園大学に入ってはじめてキリスト教というものに触れたんですけど、松田さんは高校のころからなんですよね?
松田 そうです。通っていた高校がキリスト教系の学校で、毎朝30分の礼拝で讃美歌を歌うところから、一日がはじまるという感じでした。あと聖書の授業もありました。
中澤 毎朝30分も礼拝があったんだ!?大学だと、チャペルが授業科目として週1回あるだけだもんね。
松田 私、讃美歌を歌うのが好きだったから、本当はもっと歌いたいんですけど。中澤さんはどうして敬和を選んだんですか?
中澤 きっかけは、高校の先生から「先生との距離が近いし、学風が合ってるんじゃないかな」って言われて、それで興味を持っていろいろと調べて、いいかもと思って受験しました。入学式はちょっと驚いたな。先生たちがみんなお揃いのガウン着てたから…。
松田 正装の時に着るガウンね。
中澤 ちょっと圧倒されちゃいました…。入学式が終わって友達と「なんか凄かったね」って話をしたのを覚えています。
松田 初めて見るとビックリするよね。私も高校に入学した時は、驚きました。親が牧師さんの同級生は見慣れた光景みたいだったけど、私の家はキリスト教じゃないから、中澤さんと同じで驚きました。

授業科目で言うと、週1回「キリスト教学」と「チャペル・アッセンブリ・アワー」という授業がありますね。

中澤 聖書を教科書に授業っていうのは、はじめは難しそうだなって思ってたし、ピンときませんでした。というか、正直に言うと違和感がありました。今まで触れたことのなかった「宗教」というものを学んでいるということ、それと入学式でのあのガウン姿が重なって(笑)。なにか異質なものに触れている気がして。
松田 今でもその違和感はある?
中澤 それが、今ではだいぶ変わって。チャペルの大澤先生やゲストの話を聴いてるうちに、宗教だ、っていう固定概念がだんだんなくなって、聖書の言ってること、言葉の中身がだんだん分かってくるようになった。それに2000年も昔に書かれたものなのに、今の私たちにも共感できる部分が多くて、凄いなと思うようになってきた。人間の悩みとか、うれしいこととか。うんうん分かるってうなずくようになった。
松田 一人で生きているんじゃないとか、人のつながりに感謝して、とか。最近よく社会でも言われるようなテーマに目を向けられて書かれているというね。2000年も前に。
中澤 今では、他の授業とはちょっと違う位置づけで大切な時間です。金曜日ということもあってか、1週間を振り返ってリセットする時間になっています。高校の時はワーッって騒がしいまま毎日を過ごしていて、ゆっくり自分を振り返るなんてことなかったから。
松田 そうそう、分かる。私もあの時間はホッとするし、大切な時間。2年生以降も、できるだけ行こうと思っているし、行きたいと思える時間です。

自分自身で変わったと感じることはありますか?

中澤 自分でふと気づいたんですが、大学のチャペル以外でも、1週間を振り返る時間を自分でつくれるようになってました。家でひとりで目を閉じて1週間を振り返って「あぁ、わたし今週もがんばったな。来週もがんばろう」と思えるようになった。
松田 振り返ってリセットできるようになると、1週間を大切にできますよね。
中澤 キリスト教に入ったわけじゃないんだけど、その考え方を学べていることは自分によい影響を与えてくれていますね。

COMMENT

言うなれば『風』。目には見えないけれど、木の葉が揺れることで感じるもの。

大澤秀夫教授 Chaplain (宗教部長)

「敬和学園大学のキリスト教主義教育」というと、難しいことのように聞こえますけどね、言いかえるなら「敬和スピリット(精神)」、敬和学園大学の気持ちのあり方とかスタンスのことです。そのスピリットはどこから来るのかというと、キリスト教の考え方に由来するのです。「精神」を聖書では、息吹、風、という言葉で表現しています。敬和学園大学には、2000年の伝統をもったキリスト教の風、息吹が吹いているのです。

キリストの精神は、敬和に吹き抜ける『風』

体も知識も、そこに息吹がなければ生きた人間にはなりません。毎週金曜日に「チャペル・アッセンブリ・アワー」という時間がありますが、この時間帯には他の授業はなく、聖書のことばが響きます。ぎっしりと詰まった1週間の授業の中に、風の吹き抜ける時間があります。吹いている風というのは、目には見えないけれど、木の葉が風に揺れ、ざわめき、音を立てることでその存在を感じることができます。

風がキリスト教なら、木は学生、苗床が敬和。

目には見えない『風』がキリスト教とするならば、この風に揺れる『木』、それが敬和で学ぶ学生たちです。一人ひとりが大地に根を張って、学び、経験を吸収し、枝を伸ばし、花を咲かせるんですね。そして、もうひとつ言えば、この木が根を下ろす場所、敬和学園なんです。「園」というのは、植物が育つ場所、命を育む苗床です。学校や学院ではなく、「学園」という言葉にはそんな思いが込められています。

敬和という「園」に根を下ろし、枝を伸ばし葉をつける「木」はあなた。そこに吹きわたる「風」、あなたを励ましてやまない「風」がキリスト教のスピリットなのです。