チャペルのひびき

より良く生きることとは[2013-10-25]

 長くホスピスでチャプレンとして働かれた奥村牧師の話をうかがった。生きる力はどこからくるか。<自律性>自分で決め、自分で出来ること、<関係性>他の人とのつながりがあること、<時間性>将来へと開かれていること、の三つが生きるときの土台であるという。高齢になることや病気は、これらの土台を奪っていく。自分の足元から私たちは、どのように希望を紡いでいくことができるのだろうか。これは歳を重ねた者の問題であるだけでなく、若者の課題でもあると思う。行き詰ったとき、「助けてください」と叫ぶことの出来る社会を私たちは用意できているのだろうか。(大澤 秀夫)

Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「 助けてください 」 宗教部長 大澤 秀夫 先生
20131025チャペル・アッセンブリ・アワー

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「 より良く生きることは、より良く死ぬこと 」 日本基督教団長岡教会 牧師 奥村 益良 先生
20131025チャペル・アッセンブリ・アワー

参加学生の感想
感想1)奥村先生の死と生の話を聞き、死に対する考え方、生きる意味などを改めて考えさせられました。私たちの命を支えているものは、人とのつながり、自分の目標などが生きる力となっていることを初めて知りました。最近会った台風での被害、老人の方々が迷惑になるからとニュースで言っていたが、もっと若い人などを頼りに自分をそんなに思わないでほしいと思いました。他に「きく」という文字は「聞」ではなく「聴」といった言葉がとても心に残りました。
感想2)人間は、決して1人で生きていけなくて、誰かの支えが必要。その中で「助けてください」といえることで、他の人と共にやっていける。1人で強がっていても何も始まらない。その通りだと思った。一人で全部抱え込んで、「助けて」と言えないのは、生きていく中でものすごく大変。私はさらに助けてと素直に言えること、他の人の助けに協力していきたいと思った。
感想3)今日のチャペル・アワーはなかなか心に刺さる内容だった。苦しいときや辛いとき「助けてください」というのは当たり前のことかもしれない。しかし、本当に苦しいときや辛いときになると周囲への迷惑や弱みをさらけ出してしまうことの恥ずかしさ、または余裕のなさやプライドから「助けてください」ということが言えなくなってしまう。このような経験は私にもあり、周囲に自分の苦しみに気づいてもらえないと思い込み、さらに絶望してしまうという負のサイクルに陥ることがよくある。そのような状態になる前に素直に自分の弱さを認めて「助けてください」と言えるような人間になりたいと思った。
感想4)助けを求めるところから人は、共に生き学ぶということをするのですね。しかし、どうしても人間は素直に伝えることができません。自分の心のありのままをハッキリ伝えればよいのになぜ伝えることができないのでしょう。ハッキリ伝えることが恥ずかしいから? 相手の立場から立ってみると、何でもハッキリ言ってほしいと思います。きっとハッキリ伝えることができて初めて“信頼”というものが生まれるのではないでしょうか。ハッキリ声に出して伝えられるものとなりたいです。

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