チャペルのひびき

人の罪と神の平和[2014-07-25]

 鈴木学長先生が、マタイ福音書の「山上の教え」のイエスの言葉について、ご自身の学生時代の経験をふまえながら説き明かしてくださいました。先生の学生時代は、学生紛争の嵐の吹きすさぶ時。理想を求める運動が、正義の旗印のもと、平和の実現を訴えつつも、実際には、自らと異なる主張の者たちを断罪し、更には、暴力をもって圧倒しようとするようになっていったとのことでした。人間の持つ原罪の深さを改めて思い知らされます。同時に、そのような人の罪を引き受けつつ、十字架の赦しのもとで平和の可能性を作り出してくださったイエスの愛の深さについても、教えられたひと時でした。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー
説  教 「 平和を実現する人々は、幸いである 」 学長 鈴木 佳秀 先生
20140725チャペル・アッセンブリ・アワー

公  演 キリスト教音楽の受講者によるコーラス KEIWA Choir
20140725チャペル・アッセンブリ・アワー

〈参加学生の感想〉
感想1)前期最後のCAHに参加して本当に良かったです。学長先生の本日のお話は、大変考えさせられるものでした。学生運動の話を聴いて、すぐあさま山荘事件の話だなと思いました。あの事件は本当に悲惨で悲しい事件だったと思います。記事でしか読んだことはありませんが、正義と正義。正義とは何か。正義の反対は、悪ではない。また別の正義なのか…。すごく考えさせられました。
感想2)今日のCAHで学んだことは、「出会いを生きる」ということです。これは、チャペルのひびきにも述べられていました。「出会いを生きる」。つまり、人生は、「一期一会」だと私は解釈しました。誰しもどんな人に出会うかなどは、わかりません。しかし、それが一期一会であり、人生であり、出会いを生きるということなのでしょう。相手を受け入れ、和解を前提に接することができれば、より良い人生を送ることができるかもしれません。
感想3)「心のまずしい人、かなしむ人は幸いである」という言葉を初めて聞いた時は、いったい何を言っているのかよく分かりませんでした。まずしい人、かなしむ人と聞くと、マイナスなイメージしかありませんが、むしろ逆なのだと思いました。人は、いつも平和を望んでいると思いますが、考え方の違いによって全く逆になることはいつの時代にもあると思います。武器を手にして、自分たちの理想を相手に押し付けているようでは平和とは言えません。それは、支配だと思います。

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