チャペルのひびき

人生は旅そのもの

 フランスの「シャルリー・エブド」襲撃事件をふまえ、この世に実在する悪に対して(再び悪や悲劇を生み出すことのないような仕方で)どのように処してゆくことができるのだろうか、また、自由はいかなる仕方において行使されるべきであろうかという問題に関して、聖書の伝える一端を共に分かち合い、考える時としてもつことがゆるされました。一筋縄ではいかない難しい問題ですが、一人ひとりが、真摯に答えを求めていってほしいと願います。アッセンブリ・アワーでは、4年生の学生が、自らが体験した巡礼の旅について美しいスライドをまじえて紹介してくださいました。旅の途上の数々のエピソードを、ジョークを交えながらお話ししてくれましたが、ただ楽しいだけではなく、世界と人生に対する深い洞察がうかがえる豊かな証しにもなっていました。人生自体が旅そのもの、目的地に着くことが重要なのではなく、その間の一日一日を大切に神様の恵みを感じながら生きることが大切なのだ、との締めくくりのメッセージが心に響いています。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「 悪に絶望することなく 」 宗教部長  下田尾 治郎 先生
20150116チャペル・アッセンブリ・アワー

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「 巡礼の歩み 」

20150116チャペル・アッセンブリ・アワー

〈参加学生の感想〉
感想1)巡礼を、写真とおもしろい解説を織り交ぜてお話してくださったので、聞いているこっちも話に引き込まれていくようでした。ただの旅行とは違って、自分の力で歩きながら目的地を目指すというのは大変だと思うし、慣れない土地だからなおさら大変だと思った。
感想2)今回の話をきいて、外国に興味を持った。とてもすごすぎる、自分だったら絶対に無理だと思った。でも、様々な文化に触れられるし、生きるために必要な力を身に着けることが出来る、こういう経験もすごくいいなと思う。今日のアッセンブリ・アワーは聞きやすく、楽しく聞けたのでとてもよかったです。
感想3)復讐は、悪の連鎖である。悪いことをされた時に悪いことで返すのは、被害者から加害者へ変わってしまう。神は、復讐するのではなく相手を許し、和解することを望んでいる。復讐は、悲しみや憎しみを生み出す。「復讐心を抱く」と言う言葉はどれだけ善良な人であれ、恐ろしい感情を持っている。恐怖を抱かせる人だと印象づけさせる。復讐は良いことを生まず、人の体を傷つけることも、心をボロボロにすることもできる危ない行為である。人は、復讐ではなく「許すこと」をしなければならない。人は、復讐ではなく「許すこと」をしなければならない。それは難しいことだ。許すということは、寛容な心と友人への優しさが必要だからだ。最初からすべてを許せる人などいないが少しずつ良いので、心を大きく、許せる人へとなっていけたらいい。神は、平和な世界を望んでいるだろう。大きな心、許せる心を以て和解が出来る世界へと進んでいけたらいいなと思う。
感想4)復習をすることは、悪に悪を重ねることだというのは、その通りだと思いました。やられたらやり返す倍返しだ!と言う言葉も流行しましたが、そうではなく和解する努力が大切だと思いました。フランスの風刺画のことは、フランス語の授業で話を聞きました。私もやりすぎではないかと思ったのですが、表現の自由があるし、批判することは悪いことではないという考えがあり、当たり前のことだと言っていたので、文化の違いもあるのだと思いました。その違いから悲惨な事件が起こるのは本当に関しいことだと思います。