チャペルのひびき

節目の年に

平和についてお話しいたしました。戦後70年の節目の年であるにもかかわらず、積極的平和の名のもとに積極的に軍事に関わることのできる国に日本がなりつつあることに、深い危惧を覚えるのです。そのような共通の敵を作り出すことにより味方と思われる者たちとの間に一体化を強めてゆくこととは対極の平和、キリストにつながることを通して、敵意そのものを乗り越え、敵対する者たちとの間にも絆を結んでゆく、昨今、声高に語られているのとは別の意味での積極的平和のあることを聖書は示しています。
アッセンブリ・アワーにおいては、虎岩朋加先生が、スライドを交えながら、ご自身と外国語との出会いについてお話しくださいました。外国語(言葉)とのつまずきを伴う出会い、けれども、つまずくことを通して、言葉の持つ奥深さと魅力、また自国語だけでは知ることのできなかった世界の豊かさに導かれていったこと、それはご自身の成長とも重なるものであったことをお示しくださいました。言葉とのつまずきを伴う出会い、そして、つまずきの中に本当は隠されている豊かな意味と世界の発見、これは言葉のみならず他者(他国)との、また神との出会いについてもあてはまることだと思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「わたしたちの平和」 宗教部長 下田尾治郎 先生
20150626チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「外国語をとおした学びと成長についてのいくつかの寸描」 准教授 虎岩朋加 先生 
20150626チャペル・アッセンブリ・アワー2

〈参加学生の感想〉
感想1)下田尾先生の説教を聞いて、平和について改めて考えることができた。今、世界は平和だと言える状態ではないと思う。未だに中東諸国では戦争が起き、貧困などでたくさんの人々が命を落としている、これはとても悲しいことだと思う。ただ、1人の人間にできることは限られていて、自分に何ができるかまだ分からないけど、これからの人生で自分にできることを見つけていきたいと思った。
感想2)平和とはいったい何なのか、その想いが伝わってくるチャペル・アワーでした。戦争を知らない世代の私たちですが、10年以上前の出来事が今になってそれが実現されてしまったらどうなってしまうのだろうと思った。平和とは実現し、維持するのが難しいと思った。このことは全世界の人々、組織と互いに協力し平和を生み出していくことが大切なのだということを感じた。
感想3)私は、PENをどうしてペンと読むのか考えたことも疑問に思ったこともありません。割と素直にやれば勉強についていけるタイプだと思います。しかし、成長するにつれてだんだん疑問が増えてきて悶々とすることがたくさんあります。だから虎岩先生みたいに自分なりに疑問を克服できるようになりたいと思いました。
感想4)私は、英語や数学を学ぶ時には特に変には考えませんでした。何故そうなのかを考えずに、そういうものなのだと思い切っていたからです。確かに考えてみるとよくわからないことってあると思います。