チャペルのひびき

一神教の神の本質[2017-12-01]

旧約聖書の出エジプト記のテキストをもとに、一神教の神の本質について考えてみました。聖書に描かれている神とは、人格的な出会いを人間との間に求めておられる方、非人格的な「それ」として人間をぞんざいに扱うことなく、あるいは非特定多数に向き合うような仕方でもなく、かけがえのない「あなた」として一人ひとりに向き合い、呼びかけ、一人ひとりの命と生涯に責任を負われようとされる方です。また、そのようなご自身との人格的な関係を基に、他者(隣人)との関係をも、構築し直すことを求められる方でもあります。隣人に対する、とりわけ弱い立場に置かれた人々(の人として生きる権利)に対する責任をわたしたち一人ひとりに問いかけることにおいて、聖書の神は倫理的な方であるということもできるでしょう。このような神とぜひ、出会っていただく、このようなお話しをしてみました。アッセンブリ・アワーにおいては、新発田市との深い関係にある北米のオレンジシティ訪問ツアーに参加した荏原里香さんと樋口知成くんが、彼の地で与えられた豊かな恵みを分かち合ってくれました。短い期間であったにもかかわらず(時には失敗をとおして)多くのものを学び取ってくれた学生たちを頼もしく思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「一神教の神は排他的か?」 宗教部長 下田尾治郎 先生
20171201チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「オレンジシティの訪問体験報告」 国際文化学科3年 荏原里香 さん、英語文化コミュニケーション学科1年 樋口知成 さん
20171201チャペル・アッセンブリ・アワー2

20171201チャペル・アッセンブリ・アワー3
 
<参加学生の感想>
感想1) 下田尾先生の話を聞いて、日本はたくさんの神がいて、キリスト教とは違うことが分かりました。私は大学生になって初めて礼拝に出ました。礼拝は神が自己紹介をするところだということを知りました。「隣人を大切にしなさい」という言葉は聞いたことはありますが、「隣人はどこにいるのか」という言葉は初めて聞きました。自分の大切な人は今どこにいるのかはあまり考えないで行動していたので、そのことを考えて行動すると今よりもいろんなことができるだろう。
感想2) 「あなたにはわたしをおいて神があってはならない」という。そのまま受け取れば、縛りつけられるような言葉ですが、その裏には「神(わたし)ほどあなたの生死を思い、責任を感じているものはいないだろう」という愛の言葉だったのだと知った時、概念が変わった気がした。聖書の言葉の一つひとつに深い愛が込められているのだと思うとすごく温かい書物だと思った。
感想3) 3年の荏原さんのプレゼンテーションを聞いて、実際にアメリカを見てのギャップが非常に分かりやすく伝わってきた。学生の大学に対するスタンスの違いについて話が一番驚いた。ジーンズとTシャツという格好で大学に通う人が多く、日本の学生との勉学に対する熱意の差を感じました。 
感想4) 1年の樋口さんのプレゼンテーションでは、1日の軍事費用で3,000億円も使っていて、1個の地雷は300円で作れるのに、被害はとても大きいというのに驚きました。この世の中からそういうものがなくなってほしいです。

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