チャペルのひびき

福祉を学ぶこととは[2019-01-25]

アッセンブリ・アワーは、14年もの長きにわたり本学の共生社会学科において中心的な働きを担ってこられた青山良子先生(本学教授)の最終講義の時として守られました。筋ジストロフィー症の子どもたちとの出会いを通して経験されたこと、またご研究されてこられた内容をご紹介くださりながら、福祉を学ぶとはいかなることかを、お話しくださいました。福祉を学ぶとは、人間について、また社会の仕組みについて学ぶことであること。また、それは、当たり前に思ってきた価値観が、また福祉に関わる者自身をも含めた人間観が、不断に問い直されてゆくプロセスでもあるとのことです。先生の培ってこられた思想をやさしい言葉で伺うことができたことは、まことに幸いでありました。残された者たちは、先生の思いをしっかりと受け継いで歩んでまいりましょう。それに先立つチャペル・アワーにおいては、聖書に記された「悪にあらがうこと」の意味を、神の怒りと愛の観点から学んでまいりました。聖書において、神の怒りは神の愛と不可分であり、憎しみへと変質してゆく人間の怒りとは大きく異なることが示されています。私たち人間は弱き者であり、悪(しき者)に抗してゆくうちに、自らも悪(しき者)となりうるがゆえに、自らの怒りや憎しみを神に委ね、怒りと愛を一つに結ばれた方である主イエスにつながってゆくことの大切さを聖書は説いているのです。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「隠れた悪をこばむために」 宗教部長 下田尾治郎 先生
20190125チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「学生の皆さんに伝えたいこと」 教授 青山良子 先生
20190125チャペル・アッセンブリ・アワー2

20190125チャペル・アッセンブリ・アワー3

<参加学生の感想>
感想1) 人の心は弱い。聖書ではそのことがよく現れている。人は怒りを覚えるとそれが次第に憎しみになるというのは、私にも経験がある。人は誰かにいじめられたり、嫌な思いをさせられると、相手にも同じ思いあるいはそれ以上を与えようとしてしまう。その行為は悪だ。下田尾先生から谷川俊太郎の詩『生きる』のお話を聞きました。「隠された悪を拒む」という言葉は、憎しみの心にブレーキをかけてくれるものだと思いました
感想2) 下田尾先生から「隠された悪をこばむために」と題してお話を聞きました。詩人谷川俊太郎の詩『生きる』を通じて感じた「隠された悪」。若いころには気にも留めることのなかった視点を、大人になったからこそ考え、感じるようになったと話されました。彼の詩から感じたことを聖書を用いて考えてみると、「隠された悪」とは悪意、敵意、憎しみに染められあげてしまう自分自身であるように思えると。自分にとって都合のいいことだけではなく、悪意や敵意も拒むことなく受け入れ、自分を成長させるための言葉として大切に受け止めたいと思いました。
感想3) 青山先生のお話で、福祉という存在について、自分の知らなかったことを学ぶことができた。青山先生が人との関わりで学んだこと、価値観への問いはとても勉強になるお話でした。
感想4) 青山先生のお話の中で、先生の原点となるできごとについてお話されたことが興味深かったです。どんな人でも最後まで、やれることとできることというのはあるという言葉に感動しました。私も自分にできること、自分にしかできないことを見つけてチャレンジしてみようと思うことができました。
感想5) 青山先生のお話を聞いて、“生きる大切さ”を学びました。どんなに筋ジストロフィー症が進行していても、彼らには、「できること」「やりたいこと」は残っていると話されました。彼らの病気は進行してしまうけれども、私たちと何ら変わらない同じ人間であり、特別ではないということがとても印象に残りました。筋ジストロフィーの人たちとの出会いで学んだたくさんのことが、この14年の敬和で福祉を教授する原動力になったのだと感じました。ありがとうございました。

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