チャペルのひびき

真の人間教育としてのリベラルアーツ[2020-05-15]

チャペル・アッセンブリ・アワーは、前回に引き続き山田耕太学長先生が担当くださり、本学の教育方針の柱に据えられているリベラルアーツ教育についてお話しくださいました。先生のお話を通して、リベラルアーツ教育は、古代ギリシャまでさかのぼることができ、そこから、中世、近世、近代へと、時代の情勢に適合しつつ、その都度、必要な修正を加えられながら、現代にまで至っているとのことを知ることができ、幸いでした。また、敬和学園大学が、そのリベラルアーツ教育の歴史の本流の中に位置づけられつつ、独自の使命を担っていることを覚えることができました。リベラルアーツ教育を、「真の人間教育」であるというふうに学長先生は定義されます。また、その「真の人間」とは、新約聖書の「ヨハネ福音書」に記された「真理はあなたたちを自由にする」との言葉を引かれながら、差別や偏見から解き放たれ(自由にされ)、他者(隣人)に対して愛をもって仕えてゆく人間こそが、そうであることも示してくださいました。AIが進歩するにつれて、人間であることの輪郭線が見えづらくなる、また、自分第一主義とでもいうべきものが幅を利かせつつある現代にあって、この人間の定義、またリベラルアーツ教育の定義は、ますます大事なものとなってゆくでしょう。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アッセンブリ・アワー 
説教 「リベラルアーツとは何か」 学長 山田耕太 先生
20200515チャペル・アッセンブリ・アワー1

<参加学生の感想>
感想1) 今回は、山田学長からリベラルアーツについてを学びました。リベラルアーツ教育を一言で説明すると「偏差値教育とは正反対の真の人間教育」だと聞きました。歴史の長いリベラルアーツ教育を創造してきた人々の中でも特に、現代を代表するヘンリー・ロソフスキーによる教養人の基準に私は関心を持ちました。その基準は5つあり、明瞭かつ効率的に書くこと、宇宙・社会・人間の知識を批判的に考えること、異なる文化や価値観を受け入れること、倫理的な問題への理解や判断基準を持つこと、1つの分野を深く探求すること、から成ります。私たちの大学の教育方針にもこの基準が取り入れられており、その中でこれから学んでいけることをうれしく思いました。学びによって得た自由を何のために用いるのか、まだはっきりと答えは出ていませんが私は何か人の役に立つようなことをしていきたいと思います。
感想2) リベラルアーツという言葉について具体的に分かりました。古代ギリシア、ローマで2500年も前に始まっていたということを知って、長い歴史を経て今の教育につながっているのがすごいと思いました。大学は12世紀から始まり1学部しかなかったことには驚きました。私は学長先生のお話の中で、学びを通して得た自由を何のために用いるのかというお話が一番心に残りました。学んでいくとさまざまなことを得るので自分のために使うこともあると思いますが、積極的に弱い立場の人を助けるために使っていきたいと思いました。また、真理はあなたたちを自由にするという言葉は、人の意見に流されず正しいことを求めることで自由があるのかなと思いました。今日聞いた大学のカリキュラム・ポリシーも理解しながら勉学に励んでいきたいです。
感想3) リベラルアーツとは何か、歴史をたどりながら写真と共に説明してくださりとても興味深いお話でした。2500年前の古代ギリシャから始まっていることに驚きました。「キリスト教教育、国際理解教育、地域貢献教育の3つからなるリベラルアーツ教育は偏差値教育とは正反対の真の人間教育」という言葉が印象的でした。学力だけで判断するのではなく、一人ひとりの個性・人間性を養っていく、磨いていくというこれからの人生をも見据えた教育なのだと感じました。敬和学園大学のカリキュラム・ポリシーの源はヘンリー・ロソフスキーさんである、人間科学がリベラルアーツの本流などを聞いて、大きな枠でしか捉えらていなかったものが明瞭に深く理解できたような気がします。リベラルアーツとは、偏見から開放し自由にする真の人間教育。自由を何のために使うのかという問いに、自分のレベルアップのため、人に優しく接するためなど言葉が出てきましたが、人生を通して答えを見つけていきたいと思います。
感想4) リベラルアーツ教育は学問の幅広さだけでなく、人間としての可能性も広がることを改めて感じました。特に、偏見をなくすという所が自分の中では重要なポイントだと思いました。

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