チャペルのひびき

恐れからの解放

チャペル・アッセンブリ・アワーは、山﨑ハコネ先生(共生社会学科准教授)が、「恐れからの解放」との題のもと、「マタイ福音書」10章29~31節に記された主イエスの言葉を説き明かしつつ、豊かなメッセージを語ってくだいました。この主イエスの言葉は、弟子たちをそれぞれ伝道のために派遣する際に語られた言葉。未知の領域、未知の人々の中に踏み込むにあたって、怖れと不安の中にある弟子たちに、主イエスは語られました。「恐れるな」と。なぜなら、あなた方のことを誰よりも心にかけておられる神さまが、あなたと共におられるのだから。大切なことは、その方(神さま)をこそ、「恐れること」(見上げてゆくこと)、そのことを通して、私たちはすべての恐れから解き放たれ、平安へと導かれてゆくのだということ。「恐れるな」とのこの言葉は、恐れと不安の中にある人々に何度も語られる大切な言葉、聖書の中の大切なキーワードの一つであることをハコネ先生は教えてくださいました。そして、その中心に位置しているのが、主イエス・キリストのできごとであることを。新型コロナウイルスの脅威という人類にとっての未知の脅威の中にあって、また遠隔授業の実施という学生の皆さんにとっても、教職員にとっても、不安いっぱいの歩みの中にあって、私たちが聞くべき言葉は、イエス・キリストにおいて神さまが私たち一人ひとりに語り掛けてくださる「恐れるな」との言葉であることを深く思わされた時間でした。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アッセンブリ・アワー 
説教 「恐れからの解放」 准教授 山﨑ハコネ 先生
20200529チャペル・アッセンブリ・アワー1

<参加学生の感想>
感想1) 「目の前のことでいっぱいで、上を見上げることを忘れていた」と、山﨑先生がお話の中でおっしゃっていました。私も経験のないことに直面すると逃げ出したくなってしまうことが多くあります。目の前の怖いこと、嫌なことにとらわれて、こんなことが続くならもうここで逃げてしまいたい、と不安になってしまうこともよくありました。今回の動画の、スズメの一匹一匹に神さまがついているように、小さな存在の私にも大きな存在にいつでも見守られている、神さまは導いてくださるという言葉はそんな私の心に鋭く刺さりました。初めてオンライン授業をした時もとても緊張しましたが、今度は対面授業が本格的に始まります。正直初めてのことに恐れる気持ちでいっぱいです。ですが、福音書の言葉を胸に、恐れを持たず、私は一人ではないと常に意識してがんばろうと思いました。
感想2) 山﨑先生の話の中に出てきた葉っぱのフレディという本に「まだ経験したことのないことは怖い」、「怖いと思うものだよ」という言葉があるそうで、今の私はその言葉と同じだなと思いました。私は高校が途中から通信制だったので環境が大きく違う大学生活が始まるのがとても不安でした。そんな中、新型コロナウイルスの影響で遠隔授業になったりと初めてのことが続き、さらに不安が高まりました。ですが、葉っぱのフレディの「まだ経験したことのないことは怖いと思うものだ」という言葉を聞いて、初めてのことに怖いと思ってもいいのだと思いました。今日初めてこの言葉を聞けてよかったです。
感想3) 今日の説教は「恐れからの解放」で、司会は山﨑ハコネ先生でした。新型コロナウイルスの恐れと遠隔授業の恐れ(不安)をマタイ福音書10章と重ねてお話ししてくれました。不安なのは生徒だけでなく、遠隔で授業をする先生方も同じですと言っていました。これを聞いて、生徒もそうだが先生方も初めてのことでやはり不安があるのだなと思い、少し驚きました。と同時に少し気が楽になりました。自分だけが不安なんじゃないんだと思えるようになりました。そして最後の方にお話しになられた、「人の子には枕するところがない」ということ。このことについて先生はビクビクして不安がっている状況を指すのではないかと言っていました。確かに、と思いました。コロナの渦中にいる人たちはみんな落ち着けるところがないという意味で枕するところがないなと思いました。早く恐れから解放される日が来ることを願います。
感想4) 礼拝のお話を聞いた後に、もう一度自分で声に出して今日の聖書か所を読んでみました。すると確かに、山﨑先生がおっしゃっていたように『恐れるな』という言葉が4回出てきましたが、その一つひとつに込められた意味が違っていることに気づくことができました。そして、自分で声を出して読むことは、黙読するよりもはるかに『恐れるな』という言葉が自分の心の中にスッと入ってきて、安心感が与えられたような感覚になりました。右も左も分からない状態で始まった遠隔授業は、少しずつ慣れてはきましたが、今でも、授業にちゃんと入れるかなとか課題出せてるかなととても不安になってしまいます。元々とても心配性なので、今日の山﨑先生のお話はそんな私の心に深く突き刺さるものでした。生きていく中で次から次へと不安なものは尽きませんが、思い悩み過ぎず、イエスさまが共に居てくださることに感謝し、安心した生活を送れるようにしたいです。
感想5) このような事態の中で迎えた新生活は不安でいっぱいで、よく分からないまま授業が始まり、授業に参加できているか課題が提出できているかとても不安だった。しかし、こんな時だからこそ恐れてはいけない、新しいことの始まりの時は何ごとにも恐れずに一歩を進む勇気、人々からの攻撃や冷たい言葉などに恐れずに進んでいかなければならない。「恐れるな」この言葉を胸に進んでいく。イエスさまは髪の毛を一本一本数えるように私たちのことを見守ってくれている。そして、恐れるなという言葉を送っている。狐には鼻があり、鳥には巣があるが人の子供には枕するところもないというところからこのお話の由来となった。イエスは馬小屋で育ち、最後は十字架で息を引き取ったようにイエスさまは枕するところがなかった。それは我々が枕するところがないという今のこの状況だからであると。私たちの恐れなどをイエスさまがすべて背負い十字架の上で亡くなった。だから、私たちは恐れることはない。
感想6) 今回のお話を聞いて、気づいたことがたくさんありました。まず冒頭の話ですが、6月初めから徐々に対面授業に戻っていくお話を聞きました。まだ完全とは言えませんし、新型コロナウイルス第2波が来ないようにまだまだ注意をしなければなりませんが、よい方向に進んでいっていることがとてもうれしく思います。しかし、慣れない遠隔授業など、私自身もそうですが、先生方も不安になっていたと思います。ある意味その時で考えると自分自身だけが不安になってるという孤独感に襲われがちですが、落ち着いて考えればみんなも同じ不安を抱えていて、自分は一人じゃないと感じることもあります。次に先生のお話で、恐怖についてのお話を聞きました。そんな時は空を見上げるというお話を聞いてそれは本当に大切なことだなと感じました。これからも不安や恐怖を感じで生きでいくことはありますが、そういう時は上を向いて、少しずつ解消させていくことが大切だと思いました。
感想7) 聖書の中の「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」という言葉がとても印象に残りました。宇宙から見たらとてもちっぽけな自分でも、神さまは一人ひとりをきちんと見ていて見守ってくださっているということに安心感を抱きました。山﨑先生のように私も初めてのオンライン授業にとても不安でした。大学生活に慣れておらず、友達もあまり作れないままオンライン授業になってしまい、心配ばかりの毎日でした。しかしオンラインで授業中クラスメイトと話したり先生方の工夫された授業を受けていくうちに、だんだんと不安が減っていきました。そのときも私は見守られていたんだなと思い、安心感と同時に心強さを感じました。来週からだんだんと対面授業が始まっていき、ようやく友達や先生に会えるのでとても楽しみです。過ぎてしまった時間は戻せませんが、これからの時を新たな生活様式でみんなで楽しく過ごしていきたいです。
感想8) 今回のチャペル・アッセンブリ・アワーでは山﨑先生から「恐れからの解放」についてお話を聞きました。そこでは、神さまが私たちと一緒にいて守ってくださるから恐れなくても大丈夫だということをおっしゃっていました。これは、同じできごとに遭遇しても気の持ちようで、見え方が変わるということなのかなと思いました。今月から新しい大学生活で、その上に新型コロナウイルスが来ていたので、不安を感じていました。今は少し落ち着いていますが、第2波、第3波が来ると言われているので、今後どうなるのだろうと、今も不安を感じています。でも、今回のお話を聞いて、気持ちを切り替えて恐れすぎずに過ごしたいと思いました。これからこの言葉を思い出して、楽しい大学生活を送っていきたいです。