学長室だより

2001年10月26日号

先週、学会出張ではじめて山口県の萩を訪れました。まことに粗末な平屋建てである松下村塾の前に佇み、自分はいま何の原点に立っているのだろうかと自問しました。吉田松陰は1854年、下田港にやってきたペリー提督の黒船に漕ぎ着け、自分をアメリカまで連れていって欲しいと頼み込みました。当然ながらペリーは断りました。松陰は密航に失敗したわけですが、翌日自首して投獄されています。この正直さは一体どこから来るのでしょうか。彼は当時悪辣なやり口で朝廷側を苦しめていた老中間部詮勝の邀撃を建白したことがありました。彼はそのことも正直に報告しています。松陰の「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」という和歌を読むとき、ぼくは革命の悲劇的エネルギーを感じずにはいられません。松陰が刑死したのは30歳になる直前のことでした。(北垣 宗治)