学長室だより

2003年8月22日号

6月のある朝、新発田の町を散歩していて、満開の合歓木(ネムノキ)を一本みつけた。あるお宅の庭の木で、この町では、ほかでは見ていない。それを見つけたとき、とつぜん秋田の海岸、象潟(きさかた)という地名が脳裏に去来した。芭蕉が酒田に滞在したのは、調べてみると元禄2年というのだが、それは1689年にあたる。酒田からは象潟は遠くない。梅雨の象潟が雨に煙るさまは、合歓木の花の雨にうたれた姿であり、美女・西施(せいし)が物思わしげに目を閉じた姿まで思わせる。「象潟(きさがた)や雨に西施がねぶの花。」この句ができた古刹に、わたしが最初足をとどめたのは、鳥海山に登る途次、何げなく立ち寄ったとき、もう20年も前の話である。辺り一帯がネムノキの花であった。その後、もう一度、鳥海の頂きに足がむいたのは、こんどはネムノキの花に再会したいがためであった。新発田の一本の木が、またわたしを象潟へ誘っている。(新井 明)