学長室だより

2003年9月26日号

東京の大妻女子大学での集中講義に、9月上旬のやく1週間をあてた。新発田に戻ってくると、まわりの田園のイネが黄ばんでいた。立ち並ぶ高層ビルの石壁とそのあいだを無言で行く人間の群れを眺めてすごした1週間のあとのことだ。稲田に囲まれたこのキャンパスに「いのちの息」を感じた。廊下で行き交う学生たちは、「こんにちは!」とことばをかけてくる。
いよいよ秋学期だ。学生と教師と職員が三者一体となって奮闘する学期がはじまる。それはいわば喧噪の雰囲気だ。しかしその喧噪のなかに、いや喧噪のなかにこそ「静かなる声」を聞き分けることが必要である。静けさというのは、ただハスの葉の上に、黙って座りつづけることではない。「静かなる声」は激しいあらしのなかでこそ聞くことのできるものである。英詩人キーツが「霧と芳醇な実りの季節よ!」とうたった季節が来た。さあ、ここでこそ、汚れなき「声」の到来を、激しく待とうではないか。(新井 明)