学長室だより

2004年1月30日号

還暦を迎えるあたりから、自分の生涯はいくつかの岐路で、他人に決められながら歩いてきた道であったな、と感じるようになった。教師の道の選択、ミルトン学への参入、留学、就職、家庭、その他。消極的な人生であった、といえるであろう。定年を迎えて、家庭に戻ったとき、さあこれからだ!と喜んで、定年後に残しておいた仕事にかかり始めた。そのところへ、新潟の学園からの強いお呼びがかかった。
「全私学新聞」という名の新聞があり、最近、その編集部から「申(さる)年の私学人」としての年頭の所感をもとめられた。昭和一桁(ひとけた)の生まれで、東京の東端、江戸川べりで育ったわたしは、子供のころ、正月にはよく父に連れられて、浅草へ行っている。仲見世(なかみせ)の尽きるあたりで、サル回しの大道芸をみることが、楽しみのひとつであった。(中学校時代は鶴岡だが、その地でサルの芸をみたことはない。)
このサルには、浅草の大道芸など演じることはできない。しかし「摂理」の声を聞きつつ、それに引かれて、道を選びゆく。この点では、あの浅草サルには負けないぞ、と思っている。(新井 明)