学長室だより

2004年5月14日号

ゆえあって、3月19日の聖籠町町民会館での卒業式には出席できなかった青年がいた。彼のためには3月28日に、彼ひとりだけの卒業式を設定した。彼はご両親とともに登校し、学科長、部長クラスの教授たち、また職員の代表者たちの中にすわった。
卒業の形にかんしていえば、やや不運であったと思っているかもしれないこの青年を前にして、わたくしはカール・ヒルティの『幸福論』を語った。「神がともにいたもうこと、および仕事」のふたつが、人生の幸福の原点である、というのである。神さまだけを尊ぶ、という姿勢は、一歩まちがうと唯我独尊、つまり自分に最高の位をあたえ、他人を裁くことをよしとする人生をゆるす。また、仕事一点張りの人生も、仕事のできない、めぐまれない弱者を裁く結果を生みやすい。
神にいていただき、その近くで、自分にあたえられた仕事に精進する。これが人生に幸福を呼び入れることになる。S君よ、君と同学年次の青年たちのなかで2人は、すでに死の世界に逝っしまわれた。しかし君は、いま、ここに、あるではないか。それを、なによりも幸いと思え。あたえられた人生を ora et labora (「祈れ、そして働け」)の心で進んでゆけ。
そう語ることばを聴くS君の顔は、予想外に明るかった。そんな顔を、これまで見たことはなかった。卒業証書を受け取って、ご両親といっしょに、学園を後にした。(新井 明)