学長室だより

2004年5月28日号

エデンの園の物語というものがある。人類の文学・思想のなかで大きな意味をもつ神話であることは論をまたない。そもそも「神話」とよぶには、やや不適当かな、という感じさえするほどの存在感のある物語である。それほどの物語であるにかかわらず、あんがい理解されていないのが、その園の中央におかれた「善悪の知識の木」のことである(「創世記」2の9)。アダムとエバは何を食べてもいいのだが、その木の実は許されなかった。それを食べれば、かならず死ぬと宣告された(2の17)。 なぜか。
「善悪」とは「すべて」ということである。「善悪の知識」は「全知者・全能者(つまり、神)としての知識」であって、造られたものとしての人間がもつことはゆるされない知識である。
蛇がエバを誘惑して、これを食べさせたのは、小さな神に成り上がりたいという、人間としての野望に付け込んだものだ。 人間はどこまでも全能者を中心にした世界で、その近くで託せられた仕事――その耕作と管理(2の15)――に励めばよい。その他のことに手を出すことが間違いの原因なのだ。人間は小さな神に成り上がることはない。(新井 明)