学長室だより

2004年10月15日号

石河光哉(いしこ・みつや)という画家がいた。明治27年(1894)に生まれ、昭和52年(1977)に世を去った。東京美術学校時代に内村鑑三家に出入りをしはじめた。帝展、日展の入選をはたした実力派である。
わたしは内村の母校アマースト・カレッジにいたころ、そこの学長室の壁に石河の「内村鑑三像」を発見して驚いた経験がある。東京・目黒の今井館聖書講堂にも、同氏による内村の肖像画があるが、じつはこのほうが迫力がある。それもそのはずで、これは矢内原忠雄の求めに応じて、戦時中、防空壕のなかで描いたものなのである。
今年の夏前に、この石河画伯の作品4点が、ある事情があって、わたしのところへ来た。そのうちの大型の中国風景画は、敬和の学長室にかかげた。もう一幅は、自宅へ連れてきた。それは葡萄の図で、「昭和四十一年八月十八日」とある。あとの2点も、それぞれの所を得た。
これら四作品は愛知県犬山市を後にして、それぞれの旅路についたものだ。それぞれの所で、安住してもらいたい。(新井 明)