学長室だより

2006年8月4日号

北朝鮮は7月5日に弾道ミサイルを日本海の (ソ連方向にむけて) 7発発射した。それに対する日本政府の対応ははやく、日本独自の報復措置を発動し、同時にアメリカと協同し、国連の安保理事会にたいして北朝鮮への非難決議案を付託した。
それにしても、北朝鮮は諸国の反対を押しきって、なぜミサイルの発射に踏み切ったのか。「北」は自国の存在を、きびしく主張したいのだ。それは、いい。しかしその根に、異国にたいする憎悪がひそむ。日本がその憎悪の対象国のひとつであることに間違いはない。それにはそれなりの歴史上の理由がある。日本人はその実態を知らなければならない。その関連で今でも忘れられないのは、1985年5月の、ドイツの敗戦40周年の日に、当時のヴァイツゼッカー大統領が自国の過去を批判して、「過去を忘れてはならない。過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と語ったことである。われわれもかつて「向こう側」の国々に、かつて何をしたのか、忘れてはならない。
いま求められているのは、「敬和」の精神である。「神に仕え、人に仕える」の心である。この心は国境を越える。これが「国家の品格」の基礎である。チャペルでそう語って帰る道筋に、合歓 (ねむ) の花を見た。(新井 明)