学長室だより

2008年5月30日号

むかし横須賀の高校の教師をしていたことがあった。その当時、生徒であったひとりから連絡があり、かれらのなかで最年少者でさえ古希(70歳)を迎えた。クラス会に来てほしいということであった。5月24日(土)。お昼に、ということで。
その前夜、近くまで行った。当日の午前、その高校と、その高校を裏山から見下ろす曹源寺という古刹を訪ねた(再訪)。エステラ・フィンチがそこに眠っているからだ。ミス・フィンチは1869年(明治2)に来日したアメリカ人女性宣教師。日本の軍人(とくに海軍軍人)に思いをそそいだ。(新潟の高田にいたこともある。)墓には「鳴乎先生ノ如キハ我邦軍人ノ為ニ其青春ヲ捨テ遂ニ生命其者ヲサヘ捨テタル者ナリ」と黒田惟信の遺文が彫り付けてある。日米関係が悪くなった時代に、1909年に、日本に帰化して星田光代と改名。病を養い、信州・浅間山麓の御代田(みよた)にこもったときには、内村鑑三もこの「マザー」を訪ねている(1921年8月26日)。「マザー」を思いつつ、クラス会に出た。その足で新発田へもどった。本土の反対側の海辺へ。(新井 明)