学長室だより

2008年11月14日号

学業が大学キャンパスの内側に限定される時代は過ぎた。そう言われてはじめて久しいが、実際に住民のなかに入っていって、人びとに活気をあたえる結果まで生むケースは、ごく稀のことではないか。敬和の新発田学研究センターが新発田市と商工会議所の協力をえて、かつての「新発田 十二斎市(じゅうにさいいち)」を「復活」させるという企てに挑戦した。10月13日。寺町通りを使って、野菜、魚類、衣料などなど、十数店が天幕を張った。四ノ町・お囃子、和田英夫さんの民族楽器の演奏、敬和のチアリーダー部の演技その他が加わる。学生の作った日本酒 「わ」 まで顔を並べた。江戸時代の文人たち―― 吉田松陰、十返舎一九ら――の目を驚かした賑わいは求められないが、敬和学園大学は新発田という土地のもつ文化への敬意から、学生たちをこの町の中へ引き込んだ。その功績は認められていい。
中心的なリーダーシップを発揮された神田より子教授に感謝したい。また学生たち、とくに裏方の職員たちの苦労にたいしても。教員・職員・学生の強い協力の産んだ企画であり、その点、いかにも敬和らしい活動のひとつであった。(新井 明)