学長室だより

天には栄光、地には平和!(2015.12.11 C.A.H.)

「いと高きところの神には栄光、御心に適う人々の地には平和!」(ルカ2:14)

20151211チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

クリスマスは光の祭りです。クリスマスツリーには光が灯り、クリスマス礼拝にはキャンドルが灯されます。マタイ福音書のイエスの誕生物語では、東の国の博士たちは星の光に導かれて馬小屋のイエスと出会います。ヨハネ福音書では「キリストは言(ギリシア語は「ロゴス」)であり、神は光である」と述べられています。ルカ福音書の誕生物語では、光に包まれた天使たちが天に現れて「天には栄光、地には平和」と歌います。

「栄光」(ヘブライ語「カーボード」)は神の性質を表わす極めて重要な言葉です。すなわち、神はいと高きところの天におられ、光に満ちて溢れて、栄光に輝いておられます。イスラエルの民がモーセに導かれてエジプトを出て荒野を旅した時に、神は雲の柱、火の柱となって栄光を現わし、イスラエルの民を導き、モーセが神と会見する幕屋に神の栄光が満ち溢れました(出エジプト記40:34-38)。また、ソロモンがエルサレムに神殿を立てて神に献げると、神殿は神の栄光で満ち溢れました(歴代誌下7:1)。

天の天使たちも光に満ち溢れて、栄光に輝いています。預言者イザヤがイスラエルの民の預言者として選ばれた時にも(イザヤ書6章)、預言者エゼキエルが預言者として立てられた時にも(エゼキエル書1:13)、光り輝く天使が現れて、預言者をイスラエルの民に派遣されました。

ヨハネの黙示録4-5章を見ると天上の世界は、神の座の前で四大天使(ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル)を中心にその周りには、おびただしいほどの何百、何千もの光の天使たちで満ち溢れ、神の栄光と誉れと力をたたえる大合唱をしています。

光輝く天上の世界とは対照的に、この地上の世界には暗闇が覆い、争いと苦しみと悲しみが絶えません。預言者イザヤは次のように民に勧めました。

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
  彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
  国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
  ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ書2:4-5)

武器を農具に変えて、争いや戦いをやめて、平和の道に歩むことを勧めました。洗礼者ヨハネは「平和の道」を準備するために「罪の悔い改め」を勧めます。光の天使たちは、大合唱で「地には平和!!」と歌い、平和をもたらす人としてキリストの誕生を祝います。

「平和」(ヘブライ語「シャーローム」)には、人間の最低生活を満たす「積極的平和」と争いや戦争がない「消極的平和」の両面があります(詳細は、7月24日の説教「二つの平和論」、参照)。すなわち、人権を守る「積極的平和」を土台にして、その上に争いや戦争がない「消極的平和」が築かれるのです。

クリスマスは光の祭りです。光輝く神の子キリストを心の中に迎え入れましょう。キリストは「神の栄光」を鏡のように「御顔に」反映させて、「神の栄光」で輝いています(Ⅱコリント4:6)。光り輝くキリストの御顔の光を私たちの心の内にも反映させて、心の内から輝く人となりましょう。こうして、草の根のような働きで、平和を作り出す人、人と人の間に架け橋をかける人となりましょう。

(祈り)命の源である神さま、今日も命を与えてくださり、生きよと無言の声で語りかけてくださりありがとうございます。「光の子として歩み」(エフェソ5:8)、「地の塩、世の光」(マタイ5:13-14)として生きていくことができますように力を与えてお導きください。「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝します。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。(山田 耕太)