学長室だより

「キリストに倣う(フィリピ2:1-11)」(2018.7.27 C.A.H.)

20180727チャペル・アッセンブリ・アワー1

 

人間は一人では生きていけません。他の人との関わりの中で生き、他の人に支えられて生きています。しかし、クラブやクラスの仲間と共に生きていく中で、どうしても他の人のある行動が許せないとか、他の人のある考えが許せないとか、他の人とうまくやっていけないということにぶつかることがあると思います。しかし、そんなうまくやっていけない人とも共に生きていかなければならないという状況の中で、状況を改善して幸せに生きていくヒントになる言葉があります。それは「互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい」(フィリピ2:3)というパウロの言葉です。

人は他人の欠点が目に付く前に自分にも同じような欠点、あるいは他人の欠点よりも大きい欠点があることを忘れています。それをイエスは「あなたは兄弟(すなわち仲間の相手)の目にあるおが屑が見えるのに、自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7:3-4)とアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」のように極めてファンタスティックな譬えを用いて語ります。「大工」(マルコ6:3、具体的には「石工」か「家具職人」を指す言葉。メル・ギブソン監督映画「パッション」では後者として描写)の仕事場に見られる最も小さなもの「おが屑」と最も大きなもの「丸太」を用いていますが、おそらくそれらが瞳に映る姿を想像して語ったのでしょう。

どんな人にも神からタレント(才能)が与えられているのです。その神から与えられたタレント(才能)に、当の本人はなかなか気づかないことが多いのです。何十年も生きてから、自分はこれに向いているのではないか、この才能が与えられているのではないかと気づいてくることもあるのです。

「タレント」という言葉は聖書に由来する言葉です。実はイエス時代のローマの貨幣単位「タラントン」に由来する言葉です。1タラントンとは6千デナリオン、6千日分の労賃を意味します。すなわち、1日の労賃が5千円とすると3千万円という大金を指します。すなわち5タラントンとは、現在の1億5千万円、2タラントンとは6千万円、1タラントンとは3千万円という大層な額に相当します。

20180727チャペル・アッセンブリ・アワー2

ローマ時代のデナリオン銀貨

 

イエスはある人に5タラントン、ある人に2タラントン、ある人に1タラントンを与えて旅に出た主人の譬えを語ります(マタイ25:14-30)。主人は旅から戻ると5タラントンでさらに5タラントンを儲け、2タラントンでさらに2タラントン儲けた人を褒めます。それとは反対に、与えられた1タラントンを土の中に隠して怠けていた人を叱りました。すなわち、才能が多く与えられようが少なく与えられようが、与えられた才能に磨きをかけていくことが大切なのです。与えられた才能が少ないからと言って怠けていてはいけないのです。すべての人に、自覚しようと自覚しまいと、タラントンという単位が示すように半端でないタレント(才能)が与えられているのです。
 
あなたとうまくやっていける人もうまくやっていけない人も、皆一人ひとり隠れたタレント(才能)を持っているのです。相手の隠れた才能に気づいて認めることができると、それまでうまくやれなかった人とも、うまくやっていくことができるようになるのです。すなわち、無意識で相手を受け入れない排除の態度から、意識して相手を受け入れる包摂の態度に変わっていくのです。パウロは「互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい」と勧める言葉の前に「へりくだって」(フィリピ2:3)「心を低くして」というキーワードを加えます。それは、パウロがこのようなことを述べるには、「心が低い」「へりくだった」謙虚な人のモデルがあったからです。

パウロがこのような助言をすることができたのは、謙虚な人のモデルとして「キリスト」を一心に思い描いていたからです(フィリピ2:6-11)。すなわち、神の身分であったにもかかわらず、それに固執しないで、自分を無にして人間の姿を取り、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで神に従順であった。そこで神がキリストを高く挙げ、すべての存在の主にした。パウロは地上で活躍したキリストには全く関心がなく、その生涯の終わりの十字架の死に関心を集中させて、一途に心に描いて生きていたのです。十字架の死を述べる際に「へりくだって」(フィリピ2:8)を繰り返し、そこに「謙虚な人」の究極の姿を見抜いていたのです。私たちも「キリストに倣う」生き方に少しでも近づいていきたいものです。そして、どのような人々ともうまくやっていくことができる人生の秘訣、幸せな生涯へのパスポートを手にして生きていきたいものです。祈りましょう。(山田 耕太)