神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

新しい年の初めに[2021-01-01]

新年あけましておめでとうございます。今年は大雪の中で正月を迎えました。「一年の計は元旦にあり」と言います。今から74年前の正月に敬和学園の発足を願った井伊誠一の願いを思い起こしたいと思います。新発田の年配の人の間では、井伊誠一の名前を知らない人はいないほどよく知られていました。

井伊誠一は、大正時代から昭和の初めにかけて日本最大の小作争議として知られる木崎争議で、東京の弁護士の片山哲と共に、小作人の側に立った弁護士で「農民運動の父」として知られていました。その争議の中で木崎農民学校を開校し、賀川豊彦を校長に招きました。戦前は県会議員として、戦後は衆議院議員として7期務め、戦後の片山哲内閣時の衆議院司法委員長、日本国憲法制定時の憲法特別委員も務めました。

今から75年前の戦後初の衆議院選挙で初当選して迎えた正月に、五つの願いを「私の信念、一市民として」と人に見せるためではないノートに書きました。その筆頭に「新発田市民に叡知と品位を与えるために学校を起こしたい」と記しました。続いて「教会と幼稚園を発展させたい」「図書館を改革したい」「市を清潔な文化都市に改造したい」「青年に希望の途を開き、市議会を若返らせたい」と挙げました。

井伊誠一は「私の信念」を記した21年後の1968年に、敬和学園発足時の理事の一人となりました。「叡知と品位を与えるために学校を起こしたい」とは、実は明治時代の北越学館のような学校を復活させたいという願いだったのです。私はこの願いを下敷きにして、村上市のいわふね新聞の今日付け元旦号に「北越学館と敬和学園のつながり」というコラムを書きました。(山田 耕太)

2021.1.1学長ブログ

井伊弁護士事務所に掲げられた小崎弘道書『天に財(たから)を積む』

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