図書館だより

敬和学園大学 図書館だより(2006年8月号)

良寛コレクション (英語文化コミュニケーション学科長・図書館長 北嶋藤郷)

白蓮精舎の会を 出でて自り
騰々兀々として 此の身を送る
一枝の烏藤 長く相随い
七斤の布衫 破れて烟の若し
幽窓雨を聴く 草庵の夜
大道毬を打つ 百花の春
途客有りて 如し相問わば
比来 天地の一閑人

この里に 手毬つきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし

村里で、子供たちと手毬をつきながらのどかに遊ぶ、良寛のこの歌はよく知られています。江戸時代後期に越後が生んだ詩僧・良寛の暖かい人柄がしのばれます。
先日、「書の至宝」特別展を東京博物館へ観に行きました。日本と中国の名筆が時空を超えて一堂に集結したものに感銘を受けました。わたしが一番好きで、 心打たれたのは良寛の詩書屏風。では、その良寛遺墨、七言八句の草書の作品を紹介してみましょう。この短い漢詩は、良寛の現在の心境を詠んだものでありますが、同時に過去も未来も詠み込まれてます。厳しい修行の過去を経て、良寛は今、「騰々兀々」(とうとうごつごつ)として、あるがままに優游たる生活を送っているのです。未来の自分については、良寛は「天地一閑人」と呼んでいます。 良寛の悠々たる人生哲学が読みとれる好個の逸品であります。漱石も良寛の書が好きで、「本物がしきりにほしいのです」、と越後の知人に頼んだりもしていますね。 良寛の繊細で優美な書法には、よく知られる人となりのように、彼の清い心がにじみ出ております。人間の無垢な気持が表れていて、良寛という人間の全部が一度に発動して、躍動しているのです。良寛の書を観ると、彼の清い心がストレートに伝わってきますね。

白蓮精舎とも言うべき備中玉島の円通寺の僧堂を離れてから、ゆったりと物にとらわれず、その日を過ごしてきた。長い間身の周りにあるものは、一枝の黒く古びた藤の木の杖だけで、七条の衣は破れて煙のようである。しかし、夜は静かな窓べで雨の音を聞き、春は花の咲きみだれる大きな道のべで子供たちと手毬をつく。後日、人がいてわたしのあり方を尋ねるならば、この世で近ごろまれな、ひま人だと答えよう。[谷川敏朗著『校注 良寛全詩集』より])

わたしは、良寛書を鑑賞しながら、自分の気持が安らぐのを感じました。現代人が良寛に魅せられるのはこれだ、とまるでエピィファニイ(顕現)のように心打たれる一瞬を体験しました。東京博物館を後にしながら、ふと、「つくづくと良寛の字を見てあれば風のごとしも水のごとしも」という吉井 勇の歌を思い出していました。

敬和学園大学の図書館には「良寛コレクション」があります。コレクションと呼ぶには、あまりにもささやかすぎるかもしれません。良寛関係書を選択するに当っては、良寛書を専門に出版・販売している、考古堂書店の編集部のアドバイスを得ることができました。良寛関係書は全部で139冊を数えます。
「良寛コレクション」には、いわゆる名著といわれる良寛研究書も収蔵されています。西郡久吾著『北越偉人沙門良寛全伝』や相馬御風『大愚良寛』をはじめ、大島花束、須佐普長、会津八一、吉野秀雄、東郷豊治、渡辺秀英、北川省一、等々。
そして、比較的新しく発刊された良寛書で、学生諸君にも、一般読者にも親しみやすい書物をも数多く入れてあります。本学チャップレン・延原時行著『地球時代の良寛』や本学客員教授・荒井 魏著『良寛の四季』をはじめ、日本芸術院賞・恩賜賞に輝いた作家・中野孝次記念文庫には、『良寛に会う旅』、『風の良寛』、『良寛の呼ぶ聲』なども含まれています。谷川敏朗氏の『良寛の生涯と逸話』、『校注 良寛全歌集』、『良寛文献目録』そして本学・人文科学研究所研究員でもある書家・加藤僖一氏の『良寛辞典』、『良寛入門』、『良寛遺墨の精粋』(英訳)など。また、松本市壽氏の『ヘタな人生論より 良寛の生きざま』、『座右の良寛』や竹中正夫『良寛とキリスト教』、石上・イアゴルニッツアー・美智子『良寛と聖フランチェスコ』、S. ゴールドステイン英訳『良寛 短歌・俳句選』なども収蔵されています。
谷川敏朗氏の「良寛さまに救われた人々」によれば、貞心尼のほかにも、夏目漱石、北原白秋、相馬御風、會津八一、吉野秀雄、等々の文人が挙げられています。また、川端康成がノーベル文学賞の授賞式で良寛を「日本の神髄を伝えた人」と紹介して以来、<世界の良寛>の観さえあります。新潟大学e-Learningの「良寛入門講座」では、加藤僖一氏の語りの英訳版が昨年の暮れに完成しました。これはBSN新潟放送の制作になるものですが、英訳と吹き込みには、本学の外国人教師のご協力を得ました。良寛は、越後の一介の乞食僧としてこの世を終えた人ですが、今では全国津々浦々にその名を馳せ、人々は親しみと慈しみをもって良寛に敬愛の念を抱いているのです。古今東西を問わず、良寛に魅せられた文人・画人もじつに数多いのですね。
回首すれば15年前、敬和学園大学は地元の絶大な支援を得て設立されました。地域循環型教育を標榜する敬和学園大学は、学生諸君のみならず、地域の住民の方々からも、本学の「地域に開かれた図書館」を広く活用していただきたい、と熱望するものであります。

私の一冊

教員が学生諸君にぜひ読んで欲しいと勧めたい一冊の本がある。あるいは、自分の人生を変えた一冊を紹介するコーナーを設けて、これからの「図書館だより」に掲載することにした。

■谷川敏朗著『校注 良寛全詩集』春秋社、1998
ここでは、谷川敏朗著『校注 良寛全詩集』を紹介したい。越後が生んだ、江戸時代後期の禅僧良寛は、生涯に漢詩483、和歌1350、俳句107を残した。現在では、禅僧というよりは詩僧として、その名を日本はもちろんのこと外国でも研究書や翻訳で知られている。
良寛という人物、良寛の心の軌跡を辿るには、彼の残した漢詩をひもとくとよい。良寛の人生哲学、美学、思想を知るには、漢詩が一番のお薦めだ。本書に収録された漢詩は、「五合庵期」、「乙子神社期」、「島崎期」等というように時代別に区分されている。本書の配列は、本詩→釈文→校異→現代語訳→語釈・解説文の流れとなっている。
上記に「自出白蓮精舎会」の詩を引用したが、谷川氏の現代語訳は秀逸である。氏は、「平易な文になることを心がけたため、語句の深い内容を表現できなかった部分もある」と謙遜する。そもそも漢語の解釈は多様であるため、完璧な訳は難しい。谷川氏のこなれた平易な訳文によって、良寛の漢詩が親しみやすくなったのは、氏の大きな功績のひとつであるといえよう。
このように良寛が世に広まったのは、新潟出身の独往の歌人・會津八一が子規を訪ね、良寛を紹介して、『良寛詩集』を贈呈してからであるという。また、八一は、新潟県出身の相馬御風に「君は良寛を研究しないか」と勧めたともいわれている。八一の言葉に背を押されるようにして完成した、『大愚良寛』は御風の大著であるが、御風の筆は、圧倒的な力をもって良寛のイメージを世に定着させた。
谷川氏は、大学卒業後、良寛の生誕地に近い出雲崎の高校の国語教師として赴任。ここで良寛との運命的出会いがあった。爾来、氏は良寛研究一筋に勤しみ、良寛の伝記や書誌にも造詣が深く、男一生の仕事として、見事な成果を収めた。氏の広汎な業績は、相馬御風以来の快挙といって過言ではない。長身痩躯、氏の淡如として、世俗にこだわらず、超然とした、飄々たる生きざまには、“今良寛さま”がそこにいる、とでもいいたいような、まことに爽やかな風情がある。