図書館だより

敬和学園大学 図書館だより(2012年1月号)

学生に推薦したい本(英語文化コミュニケーション学科教授 中村 義実

『Hank Ketcham’s Complete Dennis the Menace(Vol.1-6)』 Hank Ketcham、Fantagraphic Books、2006年。

日本の英語教育は明治期に開始され、以来100年以上の歴史を刻んできた。しかし、いまだその成果が現われているとは言い難い。グローバリズムの荒波に翻弄され、政治も経済も迷走が目立つ昨今の日本である。「ソーシャルメディア革命」が進行し、世界中で英語が飛び交う今、英語教育の不振は、国家として放置できない問題になっている。
今も日本人が英語に苦戦している理由は様々に考えられる。端的に言えば、日本語と英語の言語的「違い」が余りにも大きい、ということだ。音声的にも語彙的にも文法的にも乗り越えがたい壁がある。あの手この手の学習法を導入しても、どうにもものにならない主因はそこにある。この現状を踏まえた上で、ここでは別の視点に目を向けてみる。それは、私たちがコミュニケーションをどう捉えるかについての視角である。
英語というと大半の学習者は暗記一辺倒に陥っているようだ。中学、高校とテストのための勉強を強いられることにより、ほぼ無意識のうちに「英語イコール暗記」の公式が根づいてしまった。もちろん外国語学習は暗記が前提になる。しかし、私たちが母国語で実際に会話する際に、暗記した文章をどの程度発しているかを考えてみよう。決められたセリフのやり取りだけではコミュニケーションが成り立たないのは自明だ。実際のところ、発話の大半は、ほぼ同時進行的に言葉を紡ぎ出しながら行われる。この性質はどの言語のコミュニケーションをとってみても違いはなかろう。
もう一歩踏み込んで考えると、コミュニケーションの本質は話者間の「ズレ」に見出されることがある。母国語での日常コミュニケーションを思い起こせば分かるように、話が伝わらないことはしょっちゅうある。だからこそ、コミュニケーションの内容は、お互い同士がその「ズレ」を埋めようとすることで深化していくのである。異文化間のコミュニケーションであれば、伝わらないことはなおのこと多いと覚悟した方がよい。
今日の英語教育は、多くの場合、「伝わる」ことを前提とした会話練習がなされている。それゆえ、定型的な決まり文句の暗記に精力が傾けられがちである。それが外国語学習の常識であると言われればそうかもしれない。しかし、その常識を疑ってみることも時には必要であろう。実際の会話において、私たちは頻繁に「想像力」を駆使しながらコミュニケーションの「ズレ」を修復しようとする。そうであるならば、「想像力」を鍛えるための訓練をもっと英語学習に取り入れてみたらどうだろう。

前置きが長くなったが、『デニス・ザ・メニス』という漫画の作品集をここで私が推薦するのは、それが「想像力」の訓練に大いに役立つ読み物だからである。この5歳の少年デニスを主人公とする一コマ漫画は、1951年にアメリカ人ハンク・ケッチャムにより生み出された。それから60年を経た今日もなお、彼の弟子が作風を受け継ぎ、新聞連載を継続させている。日々新たに創作される漫画はインターネットでの閲覧も可能である。
一コマ一コマに描かれるアメリカの日常生活(慣習・文化)も十分に興味深いが、この漫画の最大の魅力はデニスの型破りなコミュニケーション能力に見出せる。何しろ、突拍子もないのである。その「突拍子もない」発想がこの漫画の生命力であり、デニスをとりまく人々の困惑ぶりが痛快に描かれる。デニスは定型的な決まり文句を使わない。表現されるのはデニスなりの言葉の「創造」であり、描かれる「ドラマ」は、デニスと他者の間に引き起こされる「コミュニケーション・ギャップ」である。
5歳のデニスが紡ぎ出す文は、当然ながら、文法や語彙においてはさほど難しいものではない。にもかかわらず、日本人読者がデニスのメッセージを理解するのはなかなか大変である。英語は暗記だけでは到底太刀打ちできないものであること、そして、現実のコミュニケーションは想像力を大いに必要とするという事実を読者は否応なく認識するであろう。少々の飛躍を覚悟して言えば、日本人が「英語難民」を脱するためのヒントの一端がそこに隠されているように思える。