図書館だより

敬和学園大学 図書館だより(2013年1月号)

学生に推薦したい本(教授 大澤 秀夫

余は如何にして基督信徒となりし乎

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 内村鑑三著、岩波文庫、1958年。

研究室を訪ねてきた人が帰り際に、本棚を見て行くことがある。何だか自分の頭の中を覗かれるような気持ちがして落ち着かない。しかし、そんな素振りを見せるわけにもいかない。本を推薦することも、それと似て、ちょっと恥ずかしい。しかし、せっかくの機会なので、青年時代に読んだ本をふりかえりながら、同時に、今でも私の基軸となっている何冊かの本と、その著者について書くことにしよう。

最初の一冊は内村鑑三の若き日の自伝『余は如何にして基督信徒となりし乎』である。岩波文庫に入っているので、誰でもすぐに手に入れることができる。記憶がはっきりしないが、たぶん私が読んだ最初の岩波文庫が、この本である。岩波文庫といえば、小学校6年のときに、友だちが文庫の『ファーブル昆虫記』を読んでいてビックリした。今では奥本大三郎の翻訳による大判の綺麗な本が出ているが、その頃はたくさんの分冊が出ていた。私のまわりには岩波文庫なんかを読んでいる小学生は皆目いなかったので驚いたのである。そんなわけで中学生になって自分が岩波文庫を初めて買ったときには、おとなになった気がしてずいぶん感激したものである。鞄の中にいつも持ち歩いていたのだが、いつのまにか無くしてしまった。口惜しかったことを憶えている。
私の家はキリスト教とはまったく関係がなかった。ところが、その私が小学六年生のクリスマスに突然、教会に行くようになった。お菓子を貰いに行ったのである。餌につられて始まった不純な教会通いが、今でも続いている。自分としては、お菓子以上の収穫をいただいたのだ、と感謝している。教会には溢れるほどの子どもや若者たちが集まっていた。先輩の大学生に教わったのが、内村鑑三の若い日の伝記だった。鑑三が札幌農学校に入学した十六歳の時から記述は始まっている。この本に出会った私も、ちょうど同じ年頃の十五歳だった。
キリスト教に入信した鑑三は本当のキリスト教を求めて、アメリカにまで出かけて行く。真っ直ぐな、そして不器用な鑑三は、そうであればこそ、紆余曲折を経て、とうとう本当の日本人として、本当のキリスト者として生きるべく、日本に帰ってくることになる。帰国する鑑三が校長として赴任する予定の一基督教カレッジとは、新潟の北越学館のことである。敬和とは不思議に、ここで縁がつながる。
鑑三の著作は岩波文庫にいくつも入っているが、併せて『後世への最大遺物』も読んでほしい。この世に生まれて来たからには、世界に対して何かを残して行きたいものである。私たちの生涯のミッションは何であるのか。使命を見つけるためにはどうしたら良いのか。お金、事業、教育、そして勇ましく高尚なる生涯、と鑑三は論を進めて行く。数多の青年たちの心を奮い立たせた稀有の一冊である。生きた時代が違うので、私は内村鑑三に直接会うことはできなかった。かえすがえすも残念である。

学校を終えた私はしばらくの期間、製鉄所で働いた。生きがいを探し求めて思案していた頃、本を通して出会ったのがドイツ人牧師であり、神学者であったボンヘッファーだった。たくさんの翻訳や本があるが、ヒットラー暗殺計画に加わって逮捕された、獄中からの『ボンヘッファー獄中書簡集』はぜひ読んでほしい。私自身、今でも読み返し、大きな刺激を受けている。ナチスが凶暴な力を奮った時代にあって、同時代人として、キリストとして、一人の責任的な人間として誠実に生き、そして、戦争終結の直前に処刑されたボンヘッファーにぜひ出会ってほしいと思う。
『アウグスティヌス講話』(講談社学術文庫)を書いた山田晶先生には、一度だけお会いしたことがある。実際に会って話を聞くことは、本を読むこと以上に私たちにインパクトを与えてくれる。活字の中から、声と表情が立ちあがってくるような気がする。
静岡で行われた山田先生の二日間の集中講義の時のことである。先生は名古屋から静岡に向かうつもりで、東京直通の新幹線に乗車してしまった。結局三時間遅れで始まった講義の冒頭、急いで会場に入って来た山田先生が私に耳打ちをされた。「礼拝堂で祈りたいので、しばらく待ってください。」生涯の最後を沈黙で過ごしたトマスの研究者でもあった山田先生は御自身、そのような方だった。一言の文章の背後には、無限の沈黙がなければならない。真理への畏れを身を持ってあらわした方だった。
森有正『思索と経験をめぐって』(講談社学術文庫)も、私が青年時代に出会った大切な一冊である。ものと言葉を一つに結び合わせるところに、一人の人間が生きて在ることの意味と使命を見る、という森有正の思索は、非力な私にも生きることの意味と可能性を与えてくれるものだった。会社を辞めて入学した神学校の隣が、フランスと日本を行き来していた森有正が日本にいる時の住まう大学だった。キャンパスを猫背で歩く姿が、今でも私の前を歩いているような気がする。