学長室だより

2002年7月5日号

先週、富士見町教会の倉橋康夫牧師が諸君に向かって「皆さんが自分自身を発見して、私とはいったい何者であるのかという問いかけを初めて行った状況を思い起こすことができますか?」と質問されました。倉橋先生はご自分の場合と、河合隼雄さんの場合を例に挙げられました。ではぼく自身の場合はどうであったのか。小学校5年生の頃、親戚で法事(それとも婚礼?)があり、ぼくは父の代理で参加し、隅の方で小さくなっていました。その時刻は或る宮家のプリンセスが山陰の汽車の旅でぼくの故郷の町を通過なさるころであることをぼくは知っていました。ぼくは彼女に会ったこともないし、どんな人であるか知らない。ぼくは彼女の名前は知っている、しかし彼女はぼくのことを何ひとつ知らない。彼女は女官たちに大事に守られている、しかしぼくは親戚の大人たちに無視されている。そう思うと急に淋しくなり、ぼくは一人ぼっちだという感じに打ちのめされました。今思い返せば、それが私の発見の瞬間だったと言えそうです。(北垣 宗治)