学長室だより

血はいのちなり

人の血が大地に流されると、呪いが到来したと人々が思ったのは(創世記4章10節、申命記21章1節~9節)、血がいのちであるという前提があったからです。この理解は、人間だけでなく家畜にも当てはまりました(創世記9章5節)。従って、家畜の肉を食べる場合、適切に血の処理をしないまま、レアの状態で食べることはタブーでした。
古代イスラエルでは、南ユダの王ヨシヤの時代(前7世紀)に、聖所の祭壇に捧げられた肉を祭司と共に家族で食べるという伝統が一新されたのですが、その結果、肉食が世俗化され、屠殺が町の中でも行われるようになったのです。申命記は血について「……その肉を食べてよい。ただし、あなたは絶対にその血を食べることをしてはならない。血はいのちだからである。あなたはそのいのちを肉と一緒に食べてはならない。あなたはそれを食べないで、それを水のように地に注がなければならない」(12章22節~24節)と定めています。
この変革があったので、全世界に離散し神殿なき民となった後のユダヤ人は、離散の地でも肉を食べることができたのです。今も各コミュニティーが血を処理する専門家を必要としていることは、言うまでもありません。(鈴木 佳秀)