学長室だより

ダビデの物語・ダビデの台頭史その41

「戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った」(サムエル記上31章8節~9節a)とあるのは、当時の戦いの現実を忠実に描いていると言えます。ホメロスによる『イーリアス』の戦闘場面でも、戦勝者が敗残兵の遺体から武具をはぎ取る光景がしばしば描かれています。青銅器の武具は貴重で、サウルとヨナタンが持っていた剣や槍は、兵士にとっては戦利品としての価値が高かったのです。
サウルの遺体から首が切り落とされた後、「ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした」(9節b~10節)と記されています。それは遺体を城壁に釘付けにしたことを意味しています。かつてサウルに助けられ、恩義を感じていた「ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょうりゅうの木の下に葬り、七日間、断食した」と伝えています(11節~13節)。(鈴木 佳秀)