学長室だより

ダビデの物語・ダビデの台頭史その52

ダビデはアブネルのひつぎをヘブロンまで運んで葬り(サムエル記下3章32節)、「愚か者が死ぬように/アブネルは死なねばならなかったのか。手を縛られたのでもなく/足に枷をはめられたのでもないお前が/不正を行う者の前に倒れるかのように/倒れねばならなかったのか」(33節~34節)と彼を悼む歌を詠んでいます。葬儀の日、「日の沈む前に、わたしがパンであれほかの何であれ、口にするようなことがあるなら、神が幾重にも罰してくださるように」と誓っているのですが(35節)、風評を気にしていたのではないでしょう。「今日、イスラエルの偉大な将軍が倒れたということをお前たちは悟らねばならない。わたしは油を注がれた王であるとはいえ、今は無力である。あの者ども、ツェルヤの息子たちはわたしの手に余る。悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように」とダビデは語っています(38節~39節)。無力であると感じていた彼の心を見事に伝えています。
ダビデはカリスマ的指導者ではありましたが、主なる神を畏れるという意味で、謙虚さと信仰における従順さを兼ねそなえていた英雄であると言えます。旧約聖書が伝えるこのような人物像は、M・ヴェーバーの『支配の社会学』(世良晃志郎訳、創文社)では、カリスマ的指導者のイメージとして使われています。(鈴木 佳秀)