学長室だより

出会いが形づくる絆

転勤族の意識が抜け切れなかったわたくしを、故渡邊幸二郎会長がふるさとを愛する人々の交わりに導き入れて下さったのです。出会いの不思議さを感じます。故渡邊会長は、杭打ちから敬和学園大学の建設に携わり、オレンジ会の会長として長く大学の歩みを見守ってくださった方です。この渡邊会長は、新発田城の三階櫓を再建したことでも知られています。ふるさとと共に生き、ふるさとを愛し、ふるさとのシンボルを再建された方でした。仕事人と申し上げれば失礼かもしれませんが、天職として手掛けてこられた事業が残っているのです。渡邊会長に迷いはなかったことでしょう。
自分に後世に残す作品があるのか、と問われる気持ちになります。研究者の作品は論文、著書あるいは訳書なのですが、半永久に残るものではありません。「学問の場合では、自分の仕事が十年たち、二十年たち、また五十年たつうちには、いつか時代遅れになるであろうということは、だれでも知っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である」(マックス・ウェーバー『職業としての学問』尾高邦雄訳、岩波文庫29頁〜30頁)。学を志したときから、ずっとこの言葉が胸に響き続けています。また「学問の領域で『個性』をもつものは、その個性ではなくて、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである」(27頁)と彼は語っています。残せる仕事があるのか、仕事に仕えているのか、それがわたくしの悩みなのです。(鈴木 佳秀)