学長室だより

自分が生きている意味を問うこと

学生時代に自分の天職は何かと考えることがあるでしょうか。目の前の課題にかかりっきりだと、そんなことを考える余裕はないでしょう。自分の学生時代は大学紛争の只中で、改革を要求する学生と、学内の秩序を守ることに専念していた大学当局とが鋭く対立した時代でした。10円くらいの食堂の値上げを大学当局が決めただけで、利用者である学生を無視したという理由で全学ストライキが提起され、多数の支持を得てバリケード・ストライキ、つまり学生が大学の校舎を占拠し、入り口に椅子を積みあげて大学関係者の出入りを封じ、授業を強制的にボイコットするという時代でした。どう対応すべきなのか、短時間のうちに政治判断を求められました。学生集会が開かれ、執行委員会の提案に賛成するか反対するかを迫られたのです。上級生の多くが必然だとの意見を述べていました。下級生である我々は、反論を口にする知的な訓練をまだ受けていませんでした。誰かが不安を口にすると、たちまち哲学的な命題を投げつけられ、ヘーゲルやカント、フーコーやレヴィストロースについての知見を求められ、マルクスをはじめとする革命思想をどう思っているのかと見解を求められる始末で、何も考えていないのか、何も読んでいないのか、と沈黙を強いられたのです。十年後や二十年後を想定し、自分が生きている意味を問うという余裕はなかったのですが、必死に読書をしながら考えさせられたのが実情です。(鈴木 佳秀)