学長室だより

緊張で一杯であった面会の日

関根正雄先生の指導の厳しさは知れ渡っていました。博士課程でご指導を受ける前から、こちらは身構えていたのです。夜間講座でご挨拶をして、名前を覚えていただいたのですが、将来何をするのかと尋ねられた記憶があります。自分がどのように応答したのは覚えていません。緊張していたのです。先生の大学(東京教育大学〔後の筑波大学〕)が全学ストライキで封鎖されていたので、大学院の入試は先生のお宅で行われました。ヘブライ語のテキスト〔アモス書〕を辞書なしで翻訳するという筆記試験を受けました。台所のテーブルに座り、四人ほどで受験した光景を思い出します。
入学を許されて、改めてお宅にうかがうことになりました。博士課程における教育研究上の方針について、また自分がどのような課題で研究に取り組むべきか、助言と示唆をいただくためです。ご自宅に電話をかけて、お訪ねする約束を取り付けなければなりません。受話器の前で、深呼吸を繰り返し、しばらく呼吸を整えたのを、昨日の出来事のように思い出します。西荻窪のお宅に出向く日が来ましたが、朝から落ち着きません。前の晩も眠れませんでした。約束の時間の30分も前に着いてしまい、時間までお宅の周囲をぶらぶらし、駅まで引き返したりしていましたが、買い物に出てこられた奥様にばったり出会ってしまい、しどろもどろにご挨拶したのを思い出します。既にお二人とも天に召されましたが、それは1972年春のことでした。(鈴木 佳秀)