学長室だより

ひらめきによって

忘れられた学説を再検討してみようと思ったのは、追い詰められていたからです。19世紀のドイツの学者でシュトイエルナーゲルという旧約学者が、文体が不統一なのは二つの独立した申命記法典の版(二人称単数形の版と二人称複数形の版)が存在していたからだと主張していたのです。本文を色分けしながら読んでみました。一つの文なのに、前半が単数形で後半が複数形に交替している箇所がかなりあるのです。独立した二つの版では説明ができません。きれいに前半と後半に分けられるので、意図的で人為的な接合ではないかとふと考えたのです。おもしろくなってきました。
おもしろいと感じるから、時間を忘れてそれにはまることは誰にでもあります。まさにそれでした。人の受け売りではおもしろくない、違うことが言えないか。聖書本文を調べ直しました。20世紀になって聖書文献学に新しい方法論が導入されていました。関根正雄先生がドイツで師事された先生たちの提唱によるものですが、それを本文に適用してみたのです。様式史あるいは形態史と呼ばれた方法論で、律法の文学類型を取り出し、その類型の担い手の社会学的な場や状況、法の歴史的背景を設定しつつ、編集史という観点で、オリジナルな単数形部分を、ある歴史的事情から後に複数形の文体で補ったのでは、と考えたのです。ひらめきでした。でもなぜ複数形を使ったのかが説明できません。自信はないのですが、レポートのために何とかしたかったのです。(鈴木 佳秀)