学長室だより

テキストと格闘したレポートが

荒削りのレポートでしたが、先生から教えられたとおり、聖書本文を丁寧に読んでから研究論文を読むという手法に従ったものでした。ヘブライ語聖書語句辞典(コンコーダンス)を使い、どの用語がどの箇所で使われているのかを徹底的に調べ上げました。それくらいのことをしないと、手抜きのレポートとみなされ、受け取りを拒否されるか、再執筆を申し渡されると感じていたからです。この訓練が将来どれほど役に立つことになるのか、その時はまだ知るよしもありませんでした。
苦し紛れでしたが、先生はその努力を認め評価してくださいました。ほっとしたのは言うまでもありません。その噂を聞きつけて、学部時代の指導教員が大学の紀要原稿として出しなさいと言ってきたのです。レポートですよ、とお断りしたのですが、原稿数が足りないからと言われ、しぶしぶ手を入れて提出しました。典拠として用いた、二人称単数形部分と複数形部分で使われている特徴的な概念用語のリストを、本文から脚注に移しました。なぜこれが紀要原稿になるのかよく分からないまま、活字になってしまったのです。誇らしい気持ちはありませんでした。
次年度の演習が始まり、いつものように先生の研究室で着座して待っていたのです。先生が入ってこられましたが、真赤な顔ではありません。しかし演習が始まると、朗々たるお声で、活字になったわたくしの原稿に、形の上では「論文」の体裁を取ったものですが、詳細な批判を始められたのです。(鈴木 佳秀)