学長室だより

対論となるのを忘れていた

「論文」に対する批判は詳細を極めました。問題意識は評価するが、方法論的裏付けが欠けているという指摘から始まり、申命記法典が編纂されたその歴史的な出来事との関係付けが希薄で、二人称複数形を使った編集段階を危機の時代であったと想定するだけでは駄目である等々。論文全体の組み立てが欠陥だらけであるという内容を、30分近く語られたのです。完膚無きまで打ちのめされたとしか、言い表しようがありませんでした。
学者になるつもりはもとよりなかったのですが、こうまで徹底的に批判をされると、学びを続ける自信も大きく揺らいでしまいました。レポートを論文原稿にしたのはわたくし独りでしたが、他の院生のレポートについては全く触れず、その日の演習が始まりました。この年の演習は文献学的方法論でした。演習が方法論となったことと、方法論的な基礎付けが欠けているという、わたくしに向けられた先生の批判は重なっていたのです。知りませんでした。
方法論を扱ったドイツ語の最先端の研究書があてがわれました。自分は研究者になるつもりはないし、学者としての能力もないことははっきりしたけれども、院生として務めを果たすことだけを考え、詳細にノートを取ってレジメを作り、演習で発表を続けたのです。この時の学びが、その後どれほどわたくしを助けてくれることになるかということなど、考えも及びませんでした。申命記研究の演習の最初に「対論を出しなさい」と先生が言われたことを、すっかり忘れていたのです。(鈴木 佳秀)