学長室だより

塾の教師に

大学院が終わることになりましたが、自分の将来について、目標のないまま悩みに悩み抜いていました。母校で非常勤助手の仕事をしていましたが、博士課程が修了しても、その道で職を探せることはありえない現実があり、会社員となる道も閉ざされていたと言えます。普通の学生とは違って、外れた道を辿り始めていたので、友人と塾を始めようと相談していたのはこの頃でした。
丁度そのころ、定年を期に国立大学を退職し北海道から新たに赴任してこられた新約聖書学の教授がおられました。故中川秀恭先生で、ブルトマンの『歴史と終末論』(岩波現代叢書)を翻訳された著名な方でした。非常勤助手の務めとして、先生をお連れして学内を案内してまわり、お昼の時間には研究室でお茶を入れるという仕事をしていました。何げない会話から『将来どうするのだね』と聞かれたのです。わたくしのような分野では職はありえませんから、塾の教師をするつもりですと正直に答えました。
顔色を変えた先生が、食べていたお弁当を横に置いてわたくしの方に向き直り、「君は大きな勘違いをしている。自分がどのような学問をしてきたのかが分かっていない。世界を見回せば、聖書学がどれほど重要な学問であるかは周知のことですよ。日本だけを見ていては駄目です。」と、その後、一時間くらいこんこんと諭してくださったのです。教え子でもゼミ生でもないわたくしに、そのような忠告をしてくださるのはありがたいのですが、どのように生活していくかが未定であった人間には、遠い夢のような話に聞こえました。(鈴木 佳秀)