学長室だより

倫理学の攻略

白紙で答案を出したことが悔しかったのは事実です。日本と異なり、アメリカの風土では、倫理学は極めて実践的で、観念論でないことを思い知らされたのです。作戦を立て直しました。類似の出題を想定し、アメリカ合衆国内のキリスト教各教派が発表している公式見解を読みあさって、ノートを取ったのです。教派によって、ホモセクシャリズムに対する対応は多種多様でした。そこにアメリカ国民の苦悩が透けて見えた気がしました。小論文を書いてみて、年度最後の試験に臨んだのです。予測どおり少し手を加えた出題であったので、存分に書きまくり、合格を勝ち取りました。試験のために学んだエリアーデの宗教學が、後に赴任することになる新潟大学での授業に使うことになるのです。今でも不思議な気がしています。一科目のみの失敗ですべての試験を突破しました。無事に二年次に進めたのです。
ほっとしたのですが、結果として分かったことが衝撃でした。与えられた奨学金もスタイペントも、誰でも取得できる可能性があり、二年次に進めなかった場合は取り上げられたというのです。狙われていたのです。見られていたのです。聞いていなかったでは済まされないことでしたが、努力が報われたことを、神に感謝した次第です。しかし二年次に四本の学術論文を書くことが義務付けられていました。学会誌に発表できるものに限るという指導があったのです。そうでないと資格試験を受けられないと。クレアモント独自の方針で、大学院大学を設立したときからの伝統だ、と聞かされました。知らなかったことばかりで、びっくりの連続でした。(鈴木 佳秀)