誰かのために生きる(3代目学長 鈴木佳秀)

求める者に与えられた一筋の光明[2014-02-10]

祈り続ける中で、ひらめきが与えられる経験をしました。「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。」(マタイによる福音書7章7節)という聖書の言葉は、苦しい探求の中で成就したのです。解決を求め写経を始めたのですが、二人称単数形で「あなた」と親しく呼びかける様式に、幾つかの種類があることに気付かされたのです。それが謎解きの突破口になりました。テキストを写経しながら精読していた中で示されたことでした。
ひとつは純然たる個人に向けて語りかける様式、二つ目は職責を担っている人物に向けて語りかける様式、三番目はイスラエルの人々を統合し、複合人格的に個人であるかのように語りかける様式の三つでした。欧米の研究者は、二人称単数形と複数形の識別だけに注意を払ってきたのです。ひらめきによる発見でした。
第一は、申命記23章25節「あなたがあなたの隣人の葡萄園に入るとき、あなたは思う存分葡萄を飽きるまで食べてもよい。しかし、あなたの器の中に〔葡萄を〕取り入れてはならない。」第二は、17章8節「あなたの町の門における裁きに関わることで、流血、権利をめぐる争い、暴行障害に関わる裁きなどに関して、あなたが裁きかねるとき、あなたは立って、あなたの神ヤハウエが選ぶ場所へ上り、レビ人たる祭司とそのときの〔任に就いている〕裁判人のところに行き、あなたは尋ね求めなければならない。そうすれば、彼らがあなたに判決の言葉を告げるであろう。」(岩波版・私訳)第二のものは、地域の裁判を担っている人物に向けて「あなたは」と語りかけているもので、上告手続きの規定です。(鈴木 佳秀)

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