学長室だより

なぜヨシヤ王の改革と関係すると言えるのか・その5

編集者が異なった文体を使わざるをえなかった理由、それを説明しなければなりません。偶然では説明になりません。悲劇的な歴史がそこに潜んでいることに気づかされたのです。二人称単数形が帯びている文体要素をもって親しく語りかけるべき対象が、消滅してしまった事件でした。列王記下23章29節〜30節に次のような出来事が記されています。「彼の治世に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王に向かってユーフラテス川を目指して上って来た。ヨシヤ王はこれを迎え撃とうとして出て行ったが、ネコは彼に出会うと、メギドで彼を殺した。ヨシヤの家臣たちは戦死した王を戦車に乗せ、メギドからエルサレムに運び、彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子ヨアハズを選んで、油を注ぎ、父の代わりに王とした。」
ヨシヤ王は、アッシリアから奪還した旧北イスラエル領を守るため、北上してきたエジプト軍をメギドで迎え撃つつもりでした。メギドは、地中海沿岸の要塞メツァドハシャヴィヤーフーより北に位置し、箱根の関所と同じような地形なので、エジプトの大戦車隊を迎え撃つには最適の峠でした。王がそこで戦死してしまったのです。ユダ王国はただちに後継の王を立てますが、アッシリア遠征から戻ってきたエジプトによって廃位され、旧北イスラエル領と共にエルサレムはエジプトの統治に組み入れられたのです。改革は挫折し、ヤハウェ主義者であった改革の担い手たちはエルサレムから一掃されるに至ります。全国民を統合して呼びかける「あなた」の存在そのものが失われたのです。排除された人々に「あなたがた」と語りかけ、改革事業を彼らと共に継承する目的で、異なった文体を挿入して法典を編集し直し、現実に向かって語りかけるものに変えたのです。(鈴木 佳秀)