学長室だより

出会いが新しい人生を

将来のことをめぐって相談していた午後のことです。航空便が届いたのです。恩師の関根正雄先生からでした。何ごとだろうと思いながら、封を切ったことを覚えています。一読してびっくりしました。新潟大学で人を探しているが、帰るつもりはあるか、という内容でした。日本時間がどうなっているのかも計算しないで、その場で国際電話をかけ、帰りますと先生に伝えたことを思い出します。奇蹟とはこのようなことを言うのではないかと、感じました。
どのような職場で何を教えればいいのかもよく分からないまま、帰国したのです。赴任予定であったバークレーの大学院にも、電話を入れて、担当者に事情を説明し納得してもらいました。帰国して最初にしたことは、口ひげを剃り落としたことです。6年ぶりに恩師の先生にお目にかかるのに、まるでアラブゲリラのような風貌だったからです。アメリカの友人たちからそのように言われていました。日本人は童顔で、背丈が彼らよりも低いので幼くみられることが多いのです。アメリカで師事したドイツ人の先生からは、背丈が低いのでジュニアハイの生徒が来たと思ったと率直に言われたのです。その先生が、わたくしに口髭をつけるようにと言われたので、翌日から口髭をたくわえるようになった次第です。帰国して恩師の前に出るのに、髭のままではまずいと思い、剃り落としました。昔の大学院生時代の顔に戻したのです。
お訪ねした関根正雄先生からは、教養部で歴史の教員を求めている。詳細は分からないが、窓口になっている安藤弘先生に会いに行きなさいと言われました。特急ときに乗車し、上越国境のトンネルを越えて、新潟に入りました。一面の雪景色で、川端康成の『雪国』の一場面を思い起こしたのです。帰って来たという実感がわいてきました。(鈴木 佳秀)