神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

敬和学園大学Q&A 3[2015-05-08]

Q: 敬和学園大学はどのような経緯で成り立ったのですか。

A: 敬和学園の第一の精神的な前身は、今から145年前の1870(明治3)年に新潟市古町の不動院にあった新潟英学校で英語を教えたサミュエル.R.ブラウンの私塾・新潟ブラウン塾(宣教師館での英語による聖書教育)、ならびにブラウン宣教師夫妻と一緒に来たM.キダーの私塾・新潟キダー塾(同じ宣教師館での家事・裁縫等の女子教育)に遡ります。
敬和学園の第二の精神的な前身は、今から128年前の1887(明治20)年に開校したミッション・スクール「新潟女学校」(北方文化博物館新潟別館隣の金井文化財館の場所にあったパーム病院の跡地に設立)と「北越学館」(県立新潟中央高校の場所に設立)のリベラルアーツ教育に遡ります。両校とも明治憲法と教育勅語の制定による欧化主義から国粋主義への転換期に、宣教師が離れ、教師が政治的対立で分裂し、地元の支援者が離れ、さらに中学校令によって旧制中学校が始まり5、6年で閉校に追い込まれました。
このミッション・スクールの再開を願う思いと祈りが新潟・新発田のキリスト者の間で捧げられてきましたが、それが1968年に「敬和学園高校」の開校で実を結び、やがて1991年に「敬和学園大学」の開学へと展開しました。
敬和学園大学は「英語英米文学科」と「国際文化学科」の2学科で構成された人文学部の単科大学として発足し、少子高齢化社会のニーズに応えて、11年前の2004年に「共生社会学科」加わり3学科となり、「英語英米文学科」の名称を「英語文化コミュニケーション学科」に変更しました。(山田 耕太)

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