学長室だより

久しぶりの大雪になりました

先週は今年度最後の講義の週でしたが、火曜日は暴風雪で終日休講となり、その対応に追われました。今週の学年末テストの初日に大雪でJR白新線が運休して試験が延期になりましたが、今後さらに影響が出ないことを願います。
1月24日は新発田の平地でも、久し振りの大雪になりました。市内の我が家も積雪80センチ程になりました。車を出し入れするために除雪をしながら、雪国の生活が育んできた、地味で辛抱強い新潟県人の気質を想いました。それは学生も、教職員も、研究者もしかりです。
蒲原平野の山裾沿いからは、根気強い長年月の作業の末に、それぞれのジャンルで記念碑的な業績を残した、今では忘れられつつある人文系研究者が生まれています。旧加治川村(現新発田市)上館生まれのダンテ研究者の山川丙三郎は、岩波文庫のダンテ『神曲』(地獄篇・煉獄編・天国編)ならびに『新生』の訳者として知られています。日本で最初にダンテ『神曲』を全訳し、それは現在8種類ある全訳の中で最も優れた訳で、原語のイタリア語から訳されたものです。
旧水原町(現阿賀野市)生まれの原久一郎は、旧制新発田中学出身でトルストイ全集を翻訳したトルストイ研究者です。息子の原卓也もロシア文学研究者です。旧安田町(現阿賀野市)生まれの吉田東伍は日本の地名辞典の土台である『大日本地名辞書』を編纂した地名学者です。旧下田村(現三条市)生まれの諸橋轍次は日本の漢和辞典の大本の『大漢和辞典』を残しました。
諸橋轍次の故郷には「漢学の里」として記念館と住まいが現存し、吉田東伍も故郷の実家跡地に「吉田東伍記念博物館」が建てられ、原久一郎も水原中学校市民図書室に原久一郎コーナーがあり、瓢湖の畔に記念碑があります。しかし、山川丙三郎は新発田で忘れられ、上館の七葉中学校裏手の生家跡地を知る人もなく、「にいがた文化の記憶館」(メディアシップ5階)でもまったく忘れられています。だが、文学による町おこしで起爆剤となる、忘れてはならない新発田の人です。(山田 耕太)

2016.1.29学長ブログ

雪に覆われた敬和学園大学の校舎