神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

新発田市・聖籠町議員協議会の研修会が開催されました[2017-08-04]

先週25日火曜の朝から梅雨明けを告げるかのようにセミが鳴き始めました。27日木曜には、新発田市・聖籠町の40人近い議員と議長の方々が来学され、新発田市・聖籠町議員協議会の研修会が開催されました。「敬和学園大学の設立経緯と教育について」の拙い講演後に学内を視察されました。

敬和学園は高校創立12年後に大学設立準備委員会を立ち上げました。そのころ、近寅彦市長が学園都市構想による地域活性化を公約に掲げて市長となり、その後「阿賀北に大学を」というスローガンに具体化されました。新潟県の大学進学率は、現在47都道府県で真ん中よりやや上ですが、当時は沖縄県に次いで下から2番目で、中でも阿賀北地方の進学率が低かったのです。

1986年に敬和学園は新発田市と交渉し、当初は五十公野が予定地でした。しかし君健男知事はこの件を聖籠町の長谷川栄作町長とも相談し、新発田市と聖籠町の境の現在地に変りました。大学創設費26億4千万円の8割5分が市町県(新発田市12億、聖籠町4億5千万、新潟県6億建物費1/3規定)から拠出されました。当時はバブル期で税収が多く、第二次ベビーブマーが18歳になるころでした。

本学はこの恩を忘れないために建物の名前に「新発田館」「聖籠館」という名前を付け、ボランティア活動、インターンシップ、アクティブラーニングなどの地域貢献教育・地域循環型教育に力を入れてきました。留学生もこの経緯を心に銘記していることを最近知り、感銘を深くしました。

北垣宗治初代学長は「大学のある街づくり」のために、協定校のノースウェスタン大学があるアイオワ州オレンジ市にしばしば視察団を送りました。やがてオレンジ会が組織され、新発田市とオレンジ市は姉妹都市協定を結びました。「オレンジ会」のような組織を持っている大学は全国でも稀です。日本私立大学連盟の地域創生教育プログラムのパンフレットでも本学の「まちなかキャンパス化」が選ばれましたが、「地域学入門」「地域学」なども「オレンジ会」との連携が不可欠です。(山田 耕太)

2017.8.4学長ブログ

第1次オレンジ市訪問団(1990年11月、中央が北垣初代学長)

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