学長室だより

太田俊雄のユニークな教育思想(2)

朝夕は多少涼しくなり、トンボが飛び交うころとなりました。前回は太田俊雄のユニークな教育実践の背景にある思想として、アメリカのノースセントラル大学と福音神学校で学び、日本聖書神学校で教えた「キリスト教養育論」「無意図的教育論」を中心に紹介しました。

今回は、宮城県立古川高等女学校、青森県立青森中学校(以下中学校は旧制5年制中学校)、滋賀県立水口(みなぐち)中学校、大阪府立八尾中学校・大阪の私立燈影女学院高校で英語教師として活躍した時代に(1935-1949年)、学び身につけた教育思想・実践を紹介します。

それは大正リベラリズムの影響下にある「大正自由教育思想」の系譜の中に位置づけられる人々のものです。すなわち、自由学園を始めた羽仁もと子、玉川学園を始めた小原國芳、恵泉女学園を始めた河井道子の教育思想・実践です。とりわけ影響を受けたのは、小原國芳の教育思想・実践でした。

小原國芳は、大正自由教育の始めである京都帝国大学総長であった澤柳政太郎が始めた成城学園の教師として7年制旧制高校の校長まで務めます。やがて成城学園から袂を分かち街中から離れた、当時は郊外の山林であった土地に玉川学園を始めました。太田俊雄は敬和学園を始める予定地を見せられて、鳥屋野潟ではなく現在地の太夫浜を選んだ時に脳裏をよぎったのは小原國芳の選択でした。

詳細については「太田俊雄の宗教教育思想(2)」(『人文社会科学研究所年報』No.9, 2011年)をご覧ください。前回のブログで紹介した年報No.7に誤記があります。116頁16行目「太田俊雄の母親」→「太田俊雄の妻の母親」に訂正してください。写真は復刻版の『太夫浜卓話』です。鷹澤昭一元副校長のご尽力で30冊以上の太田俊雄著作集を復刻し、本学人文社会科学研究所から出版しました。(山田 耕太)

2017.8.25学長ブログ

太夫浜卓話(1/3)