学長室だより

太田俊雄のユニークな教育思想(5)

大学の周辺の田んぼでは、一面にコシヒカリの黄金色の稲穂が垂れて、刈り入れを待っています。
前回は太田俊雄に決定的な影響を与えた英語教師の柴田俊太郎が学校を去った後に、藤井豁爾校長と出会ったことを述べました。また、藤井校長の教育実践とその背後にある岡山藩学校・閑谷黌・岡山黌の教育の伝統と陽明学というキリスト教の教育思想が「接ぎ木」される以前の一つの「野生のオリーブの木」を紹介しました。

2017.9.15学長ブログ

父 傳五郎と母 加津

 

「人格形成に最も大きな影響を与えるのは、その親である。親こそ最大の教育者である」と太田俊雄は教育講演で語りました。太田の人間形成に最も影響を与えたのは父の傳五郎と母の加津でした。母はしばしば「神さまは見ておられる」と太田少年を諭しました。父は時折「学問」が大切と太田少年に語り聞かせました。父が言う「学問」とは身をもって働く「労働」を意味していたのです。

太田俊雄の父母は倉敷市三田から20キロ離れた金光町から始まった金光教の信者でした。父母の諭す言葉は、金光教の「生き神」信仰からにじみでた言葉でした。これが太田にキリスト教の信仰が「接ぎ木」される以前の父母の信仰というもう一つの「野生のオリーブの木」だったのです。

2017.9.15学長ブログ

母校 菅生小学校

 

太田俊雄は、戦後になって長い間、感謝と啓蒙のしるしとして母校の菅生(すごう)小学校に図書を寄贈し続けました。詳しくは『太田俊雄の宗教教育思想(5)」(『人文社会科学研究所年報』No.12,2014年)をご覧ください。(山田 耕太)