神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

第24回 卒業式式辞[2018-03-23]

20180323卒業式

卒業式で式辞を述べる山田学長

 

今年の冬は大雪でしたが、その雪も解けて、校庭の桜の蕾も膨らんできました。皆さんは4月1日から新しい生活を始めますが、そのころには桜の花がほころび始めるでしょう。卒業生の皆さん、保護者の皆さん、大学ご卒業おめでとうございます。

私は今年の卒業生には特別な感慨をもっています。皆さんが大学に入学した時のことをよく覚えています。それは私が学長に就任する前の年であったので、私にとって皆さんが基礎演習の最後の学生であったからです。その時から見ると皆さん一人ひとりが本当によく成長されて今日のよき日を迎えていることを実感しています。

一人ひとりの学生が卒業するまでに皆違ったストーリーがあったことを思い起こします。皆さん一人ひとりが違った課題をかかえていましたが、それらをみな越えて卒業に至りました。ここに至るまでは皆さんの地道な努力があったことは言うまでもありません。しかし、そこにはご家族の皆さんの温かいご支援、友達の励まし、そして地域社会でのボランティア活動・アクティブラーニング・インターンシップ・実習での助言や指導があったことも忘れないで、すべてのことに感謝してください。

これから社会に出て行こうとする皆さんにぜひとも覚えておいてほしいことがいくつかあります。第一に、一生学び続けることです。大学が学校教育の最後の段階であるばかりでなく、生涯教育の最初の段階であるのです。大学で数多くのレポートを書くことによって身に付けた学びの方法、すなわち情報を集めて、分析して、説得的にプレゼンテーションする方法にさらに磨きをかけて、いつでもどこでも学び、生涯学び続けていくという覚悟を持ってください。学び続けるといっても学ぶ内容は大学で学ぶような事柄ではなく、仕事に関する事柄に変わっていくかもしれません。とにかくいつでもどこでも学び続け、一生学び続けていってください。

第二に、仕えることです。どんな仕事にも職業には貴賤はありません。どんな職業も社会には必要なのです。自分の仕事が社会全体の中でどのような役割をしているのかを考えてみましょう。昨年は宗教改革500周年でしたが、ルターの『キリスト者の自由』の後半では仕事をとおして隣人愛を実践することが述べられています。隣人愛とは現代流に言い直すと、本学の校歌の冒頭に「神を敬い、人に仕える」とありますように、奉仕の精神で人にサービスすること、人をもてなすことを意味します。人間らしい心で人に仕えること、人にサービスすることに力を尽くしていきましょう。

最後に、先ほど読んでいただきました聖書の言葉(マルコ福音書10章35-45節)から餞の言葉を送りたいと思います。イエスが最後にエルサレムに向かう途上で、弟子たちが自分勝手な願いごとを言います。すなわち神の国ではイエスの右と左に特別な席に座ることを求めます。イエスはそれに対して、イエスは自分が受ける「飲む(苦い)杯」「洗礼」という苦難を受けることを暗示しますが、弟子たちも同じ苦難を受けるようになることを示唆して、弟子の弟子たることとは何かを明らかにします。

すなわち、「異邦人の間では(当時のイスラエル人を支配していたのはローマ人でした)、支配者が(力をもった権力者が)支配している。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」と弟子たちは権力志向のローマ人とは正反対であると言います。とりわけ「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える人になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕となりなさい。」というイエスの言葉を皆さんに贈りたいと思います。

このイエスの言葉はすべての人に仕える人、サービスする人が、人々から持ち上げられてリーダーとなることを言っています。リーダーはすべての人に仕える人である、というサーバント・リーダーシップがここで述べられています。イエスはそう述べるばかりでなく、それを実践するためにこの世に来たことを最後に述べています。どんな職業に就いても「人に仕える」サービス精神を徹底して生きていってください。皆さんの生涯が幸多いものとなることを祈っています。以上をもって式辞の言葉に変えさせていただきます。

2018年3月23日
敬和学園大学長 山田耕太

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