神を敬い、人に仕える(4代目学長 山田耕太)

「真理はあなたがたを自由にする(ヨハネ8:32)」(2018.9.7. 日本新約学会第58回開会礼拝)[2018-09-07]

皆さん、おはようございます。遠くは九州や広島、近畿圏や首都圏から、近くは新潟から日本新約学会第58回学術大会へようこそお越しくださいました。大学周辺のコシヒカリの美田も稲穂を垂れて皆さんを歓迎しています。12年前にも日本新約学会が本学のこの会場で開催されました。今回は集中豪雨、台風、地震の中、万難を排してお集まりいただきました。明日は学会終了直後に隣の教室で日本聖書学研究所の公開講座が開催されます。盛りだくさんのプログラムとなっていますが、どうぞ二日間をお楽しみください。

「真理はあなたがたを自由にする」と題して短くおすすめします。この言葉には二重の意味があります。第一に教会で、とりわけ礼拝で語られる場合です。その時、真理は、言葉・光・命と同様に、イエス・キリストを指し、イエス・キリストと出会って魂が罪汚れから解放されて自由になると解釈されます。

第二に、この言葉が大学で、とりわけ19世紀以後の近現代の大学で語られる場合です。その時、真理は自然科学や社会科学や人文科学の分野別の学問的真理、あるいは学際的分野や文理融合的分野の学問的真理を突き止めることによって、精神が解放されてより自由になる、という意味で解釈されます。

しかし、ヨーロッパの中世以来の大学のモットー“Veritas liberabit vos”とラテン語で表現されてきたように、キリスト教的世界観に立てば、これらの両者は一つのことの二つの側面を表わしているのです。すなわち、一方ではイエス・キリストは宗教的真理そのものであること、他方では同じ真理によって宇宙も世界も動植物も人間も創造されたことを表わしているのです。言い換えれば宗教的真理を根底にして、創造された世界への人文・社会・自然科学のアプローチで把握される真理はバラバラではなく、J. H. ニューマンがThe Idea of a University(『大学の理念』)の中で示唆するように、実は深い所で互いにつながっているのです。

2018.9.7学長ブログ

互いにつながるリベラルアーツ諸科目

 

それは旧約聖書で「神を畏れることは知恵の始め」(箴言1:7)とされる「知恵」が、新約聖書では「キリスト」(Ⅰコリント1:24)と同一視され、旧約外典の知恵の書7章で次のようにうたわれていることに示唆されます。

  「知識に基づいて話す力、恵みにふさわしく考える力を神が私に授けてくださるように。
  神こそ知恵の案内者、知者たちの指導者であられるから。
  すべては神の手の中にある。私たち自身も、私たちの言葉も、どんな考えも、仕事の知識も。
  存在するものについての正しい知識を神は私に授けられた。
  宇宙の秩序、元素の働きを私は知り、時の始めと終わりと中間と、
  天体の動きと季節の移り変わり、年の周期と星の位置。
  生き物の本性と野獣の本能、もろもろの霊の力と人間の思考、
  植物の種類と根の効用、隠れたことも、露わなことも私は知った。
  万物の制作者、知恵に教えられたからである。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りのない鏡、神の善の姿である。
  知恵は一人であってもすべてができ、自らは変わらずにすべてを新たにし、
  世々にわたって清い魂に移り住み、神の友と預言者とを育成する。」(知恵の書7:15-22, 26-27)

「知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りのない鏡」という知恵の書7:26の言葉は、第二コリント書4:4、コロサイ書1:15、ヘブライ書1:3の「神の栄光の反映としてのキリスト」という表現の源とされています。

私たちは、一方では、真理によって精神が解放されて自由になる、という側面があるばかりでなく、他方では、私たちが真理を探究するためには言論と思考と表現の自由が必要であり、自由闊達な議論の中から真理に到達する、という側面もあります。「求めよ。さらば与えられん。尋ねよ。さらば見出さん。門を叩け。さらば開かれん。」(マタイ7:7)とありますように、真理を深く愛して、絶えず尋ね求め、真理の門を叩き続けましょう。日本新約学会第58回学術大会が祝されると共に、ここにお集まりの皆さまお一人おひとりの生業と技が、溢れるばかり豊かに祝されますようにお祈りいたします。集中豪雨・台風・地震で被災された人々を覚えて黙祷しましょう。(山田 耕太)

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